師導古典を学びたいすべての人に

荘子 / 逍遥遊

堯讓天下於許由,曰:「日月出矣,而爝火不息,其於光也,不亦難乎!時雨降矣,而猶浸灌,其於澤也,不亦勞乎!夫子立而天下治,而我猶尸之,吾自視缺然,請致天下。」許由曰:「子治天下,天下既已治也。而我猶代子,吾將為名乎?名者,實之賓也,吾將為賓乎?鷦鷯巢於深林,不過一枝;偃鼠飲河,不過滿腹。歸休乎君!予無所用天下為。庖人雖不治庖,尸祝不越樽俎而代之矣。」

新字:堯譲天下於許由,曰:「日月出矣,而爝火不息,其於光也,不亦難乎!時雨降矣,而猶浸灌,其於沢也,不亦労乎!夫子立而天下治,而我猶尸之,吾自視欠然,請致天下。」許由曰:「子治天下,天下既已治也。而我猶代子,吾将為名乎?名者,実之賓也,吾将為賓乎?鷦鷯巣於深林,不過一枝;偃鼠飲河,不過満腹。歸休乎君!予無所用天下為。庖人雖不治庖,尸祝不越樽俎而代之矣。」

書き下し

堯(ぎょう)天下を許由(きょゆう)に譲りて曰く、「日月出でたるに、而も爝火(しゃくか)息(や)まざるは、其の光に於けるや、亦た難(かた)からずや。時雨(じう)降れるに、而も猶お浸灌(しんかん)するは、其の沢(うるお)いに於けるや、亦た労せずや。夫子立ちて天下治まる。而るに我猶お之を尸(つかさど)る。吾自ら視るに缺然(けつぜん)たり。請う、天下を致さん」と。許由曰く、「子(し)天下を治めて、天下既已(すで)に治まれり。而るに我猶お子に代わらば、吾将(まさ)に名を為さんとするか。名なる者は実の賓(ひん)なり。吾将に賓と為らんとするか。鷦鷯(しょうりょう)は深林に巣くうも、一枝に過ぎず。偃鼠(えんそ)は河に飲むも、満腹に過ぎず。帰り休せよ君。予(われ)天下を用(もっ)て為す所無し。庖人(ほうじん)庖(ほう)を治めずと雖も、尸祝(ししゅく)は樽俎(そんそ)を越えて之に代わらず」と。

現代語訳

堯が天下を許由に譲ろうとして言った。「太陽や月が昇っているのに、なお松明を燃やし続けるのは、光を得るという点で、無駄というものでしょう。恵みの雨が降っているのに、なお水をやり続けるのは、潤すという点で、骨折り損というものでしょう。あなたが立てば天下は治まります。それなのに私がまだこの位に居座っている。自分を顧みて、まったく不足だと感じます。どうか天下をお受け取りください」と。許由は答えた。「あなたが天下を治めて、天下はすでに治まっている。それなのに私があなたに代わったなら、私は名声を得ようというのか。名とは、実体に付き従う客のようなものだ。私は客になろうというのか。ミソサザイは深い林に巣を作るが、必要なのは枝一本にすぎない。モグラは大河の水を飲むが、飲めるのは腹いっぱいの分だけだ。お帰りなさい、君よ。私には天下など使い道がない。料理人が料理をしなかったとしても、祭祀を司る者が祭壇を越えて代わりに料理をすることはないのだ」と。

解説

天下を差し出されて断る、という痛快な一段です。許由の断り方が見事で、まず「名は実の賓」だと言います。名声とは実体に付いてくる客に過ぎず、それ自体を目的にするのは本末転倒だと。次に有名な比喩が続きます。ミソサザイに必要なのは枝一本、モグラが飲めるのは腹一杯分だけ。どれほど大きなものを与えられても、自分が本当に使える量は決まっている。器を超えたものを抱え込んでも、意味がないのです。最後の一文も鋭く、料理人が仕事をしなくても、祭祀係が越境して代わりにやるものではない、と役割の分を説きます。地位や規模を追い求めがちな私たちに、自分に本当に必要な量はどれだけかと問いかけてくる一段です。

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ