春秋左氏伝 / 宣公十二年 篳路藍縷
欒武子曰:「楚自克庸以來,其君無日不討國人而訓之,于民生之不易,禍至之無日,戒懼之不可以怠。在軍,無日不討軍實而申儆之,于勝之不可保,紂之百克,而卒無後,訓之以若敖、蚡冒,篳路藍縷,以啟山林。箴之曰:『民生在勤,勤則不匱。』不可謂驕。先大夫子犯有言曰:『師直為壯,曲為老。』我則不德,而徼怨于楚,我曲楚直,不可謂老。其君之戎,分為二廣,廣有一卒,卒偏之兩。右廣初駕,數及日中,左則受之,以至于昏。內官序當其夜,以待不虞,不可謂無備。
新字:欒武子曰:「楚自克庸以来,其君無日不討国人而訓之,于民生之不易,禍至之無日,戒懼之不可以怠。在軍,無日不討軍実而申儆之,于勝之不可保,紂之百克,而卒無後,訓之以若敖、蚡冒,篳路藍縷,以啓山林。箴之曰:『民生在勤,勤則不匱。』不可謂驕。先大夫子犯有言曰:『師直為壮,曲為老。』我則不徳,而徼怨于楚,我曲楚直,不可謂老。其君之戎,分為二広,広有一卒,卒偏之両。右広初駕,数及日中,左則受之,以至于昏。内官序当其夜,以待不虞,不可謂無備。
書き下し
欒武子曰く、「楚は庸に克ちてより以來、其の君日として國人を討して之を訓へざるは無し。民生の易からず、禍の至るの日無き、戒懼の以って怠る可からざるを于(い)ふ。軍に在りては、日として軍實を討して之を申儆せざるは無し。勝の保つ可からざる、紂の百たび克ちて卒に後無きを于ふ。之を訓ふるに若敖・蚡冒、篳路藍縷、以って山林を啟くを以ってす。之を箴めて曰く、『民生は勤に在り、勤むれば則ち匱(とぼ)しからず』と。驕ると謂ふ可からず。先大夫子犯言へる有り、『師は直なれば壯と為し、曲なれば老と為す』と。我則ち德あらずして、怨を楚に徼(もと)む、我曲にして楚直なり、老と謂ふ可からず。……不備と謂ふ可からず」と。
現代語訳
欒武子が言った。「楚は庸の国に勝って以来、その君は日ごとに国人を集めて訓えないことがない。民の暮らしが容易でないこと、禍がいつ来るか分からないこと、戒め懼れることを怠ってはならないことを説いている。軍にあっては、日ごとに軍の実情を点検して戒めないことがない。勝利は保証されないこと、紂が百度勝ちながら結局後継が絶えたことを説いている。訓えるにあたっては、若敖・蚡冒が粗末な車と破れた衣で山林を切り開いたことを持ち出す。戒めて言う、『民の暮らしは勤めることにある。勤めれば乏しくならない』と。驕っているとは言えない。先の大夫である子犯が言った、『軍は道理が通っていれば壮んであり、道理を欠けば老いる』と。我らは徳がないのに楚に怨みを求めている。我らが曲で楚が直だ。老いたとは言えない。……備えがないとも言えない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公十二年 篳路藍縷楚子州來に狩し、潁尾に次る。蕩侯・潘子・司馬督・囂尹午・陵尹喜をして師を帥ゐて徐を圍ましめ、以って吳を懼れしむ。楚子乾谿に次り、以って之が援と為る。雪雨る。王皮冠し、秦の復陶、翠被、豹舄にて、鞭を執りて以って出づ。僕析父從ふ。右尹子革夕す。王之を見て、冠・被を去り鞭を舍てて、之と語りて曰く、「昔我が先王熊繹、呂級・王孫牟・燮父・禽父と、並びに康王に事ふ。四國皆分有りて、我獨り有ること無し。今吾人をして周に使ひせしめ、鼎を求めて以って分と為さんとす。王其れ我に與へんか」と。對へて曰く、「君王に與へんかな。昔我が先王熊繹、荊山に辟在し、篳路藍縷、以って草莽に處り、山林を跋涉して、以って天子に事ふ。唯だ是の桃弧棘矢、以って王事に共禦せり。齊は王の舅なり。晉及び魯・衛は、王の母弟なり。
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