春秋左氏伝 / 僖公三十年 燭之武、秦師を退く
九月,甲午,晉侯、秦伯圍鄭,以其無禮於晉,且貳於楚也。晉軍函陵,秦軍汜南。佚之狐言於鄭伯曰:「國危矣!若使燭之武見秦君,師必退。」公從之。辭曰:「臣之壯也,猶不如人。今老矣,無能為也已!」公曰:「吾不能早用子,今急而求子,是寡人之過也。然鄭亡,子亦有不利焉。」許之。夜縋而出,見秦伯,曰:「秦、晉圍鄭,鄭既知亡矣。若亡鄭而有益於君,敢以煩執事。越國以鄙遠,君知其難也,焉用亡鄭以倍鄰?鄰之厚,君之薄也。若舍鄭以為東道主,行李之往來,共其乏困,君亦無所害。且君嘗為晉君賜矣,許君焦、瑕,朝濟而夕設版焉,君之所知也。夫晉,何厭之有?既東封鄭,又欲肆其西封,若不闕秦,將焉取之?闕秦以利晉,唯君圖之。」秦伯說,與鄭人盟。使杞子、逢孫、楊孫戍之,乃還。子犯謂擊之,公曰:「不可。微夫人力不及此。因人之力而敝之,不仁。失其所與,不知。以亂易整,不武。吾其還也。」亦去之。
新字:九月,甲午,晋侯、秦伯囲鄭,以其無礼於晋,且貳於楚也。晋軍函陵,秦軍汜南。佚之狐言於鄭伯曰:「国危矣!若使燭之武見秦君,師必退。」公従之。辞曰:「臣之壮也,猶不如人。今老矣,無能為也已!」公曰:「吾不能早用子,今急而求子,是寡人之過也。然鄭亡,子亦有不利焉。」許之。夜縋而出,見秦伯,曰:「秦、晋囲鄭,鄭既知亡矣。若亡鄭而有益於君,敢以煩執事。越国以鄙遠,君知其難也,焉用亡鄭以倍鄰?鄰之厚,君之薄也。若舎鄭以為東道主,行李之往来,共其乏困,君亦無所害。且君嘗為晋君賜矣,許君焦、瑕,朝済而夕設版焉,君之所知也。夫晋,何厭之有?既東封鄭,又欲肆其西封,若不闕秦,将焉取之?闕秦以利晋,唯君図之。」秦伯説,与鄭人盟。使杞子、逢孫、楊孫戍之,乃還。子犯謂撃之,公曰:「不可。微夫人力不及此。因人之力而敝之,不仁。失其所与,不知。以乱易整,不武。吾其還也。」亦去之。
書き下し
九月、甲午、晉侯・秦伯鄭を圍む、其の晉に無禮にして、且つ楚に貳(ふた)しきを以ってなり。……佚之狐鄭伯に言ひて曰く、「國危し。若し燭之武をして秦君に見えしめば、師必ず退かん」と。公之に從ふ。辭して曰く、「臣の壯なるや、猶ほ人に如かず。今老いたり、能く為す無きのみ」と。公曰く、「吾早く子を用ゐる能はず、今急にして子を求む、是れ寡人の過ちなり。然れども鄭亡びなば、子も亦た不利有らん」と。之を許す。夜縋(つな)して出で、秦伯に見えて曰く、「秦・晉鄭を圍む、鄭既に亡ぶるを知れり。若し鄭を亡ぼして君に益有らば、敢へて以って執事を煩はさん。國を越えて遠きを鄙とするは、君其の難きを知るなり。焉んぞ鄭を亡ぼして以って鄰を倍(ま)すを用ゐん。鄰の厚きは、君の薄きなり。若し鄭を舍(ゆる)して以って東道の主と為さば、行李の往來、其の乏困に共せん、君も亦た害する所無し。……夫れ晉、何の厭くこと之れ有らん。既に東のかた鄭を封じ、又其の西封を肆(のば)さんと欲す。若し秦を闕(か)かずんば、將に焉くにか取らん。秦を闕きて以って晉を利す、唯だ君之を圖れ」と。秦伯說び、鄭人と盟ふ。……子犯之を擊たんと謂ふ。公曰く、「不可なり。夫の人の力微かりせば此に及ばず。人の力に因りて之を敝(やぶ)るは、不仁なり。其の與(くみ)する所を失ふは、不知なり。亂を以って整に易ふるは、不武なり。吾其れ還らん」と。亦た之を去る。
現代語訳
九月、晋侯と秦伯が鄭を包囲した。鄭が晋に無礼であり、しかも楚に心を寄せていたからである。……佚之狐が鄭伯に言った。「国は危うい。もし燭之武を秦君に会わせれば、軍は必ず退きましょう」。公はそれに従った。燭之武は辞退して言った。「私は壮年のときでさえ人に及びませんでした。いま老いて、何もできません」。公は言った。「私が早くおまえを用いることができず、いま急になっておまえを求めている。これは私の過ちだ。しかし鄭が滅べば、おまえにも不利があろう」。燭之武は承知した。夜、綱で城壁を下りて出て、秦伯に会って言った。「秦と晋が鄭を包囲し、鄭はもう滅ぶと承知しております。もし鄭を滅ぼして君に利益があるなら、あえてお手を煩わせましょう。しかし国を越えて遠い土地を自分の領地とするのは、君も難しいとご存じのはず。どうして鄭を滅ぼして隣国の晋を太らせるのですか。隣が厚くなるのは、君が薄くなることです。もし鄭を許して東方の道の宿としてくださるなら、使者の行き来のとき不足を補いましょう。君にも害はありません。……そもそも晋に満足ということがありましょうか。すでに東に鄭を版図とすれば、次は西の境を広げようとします。秦を削らずに、どこから取るのですか。秦を削って晋を利する。どうかお考えください」。秦伯は喜んで、鄭と盟約した。……子犯が秦を攻撃しようと言った。晋の文公は言った。「ならぬ。あの人の力がなければ、私はここに至らなかった。人の力に頼っておいてこれを破るのは不仁だ。味方を失うのは不智だ。乱れをもって整いに代えるのは不武だ。私は帰ろう」。晋も引き揚げた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新序』善謀第九夜出でて秦君に見えて曰く、秦晉鄭を圍む。鄭亡ぶるを知れり。若し亡びて君に益有らば、敢えて以て執事を煩わさん。鄭は晉の東に在り、秦は晉の西に在り。晉を越えて鄭を取るは、君其の難きを知るなり。焉くんぞ鄭を亡ぼして以て晉に陪するを用いん。晉は、秦の隣なり。隣の强きは、君の憂いなり。若し鄭を舍きて以て東道の主と爲さば、行李の往來、其の資糧を共にす。亦た害する所無し。且つ君晉君を立つるに、晉君君に焦・瑕を許す。朝に入るを得て、夕べに版を設けて界を畫す。君の知る所なり。夫れ晉何の厭くこと之れ有らん。既に東のかた鄭を取らば、又た其の西境を廣めんと欲す。秦を闕かずんば將に焉くにか之を取らん。秦を闕きて晉を利す。願わくは君之を圖れ、と。秦兵悅び、兵を引きて還る。晉の咎犯之を擊たんことを請う。文公曰く、不可なり。夫の人の力微かりせば鄭を弊す能わず。人の力に因りて以て之を弊すは、不仁なり。其の與する所を失うは、不知なり。亂を以て整に易うるは、不武なり。吾其れ還らん、と。亦た鄭を去り、圍遂に解く。燭之武は善謀と謂う可し。一言もて鄭を存して秦を安んず。鄭君善謀を蚤く用いざるは、國を削る所以なり。困りて焉に覺むるは、存するを得る所以なり。
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『新序』善謀第九晉の文公・秦の穆公共に鄭を圍む。其の無禮にして楚に附くを以てなり。鄭の大夫佚之狐鄭君に言いて曰く、若し燭之武をして秦君に見えしめば、圍必ず解けん、と。鄭君之に從い、燭之武を召す。之をして使いせしむ。辭して曰く、臣の壯なるや、猶お人に如かず。今老いたり。爲す能う無きなり、と。鄭君曰く、吾蚤く子を用うる能わず、今急にして子を求むるは、是れ寡人の過ちなり。然れども鄭亡びなば、子も亦た不利有らん、と。燭之武許諾す。
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『春秋左氏伝』僖公三十年 周公閲、備物の饗を辞す初め、鄭の公子蘭出でて晉に奔り、晉侯に從ひて鄭を伐つ。鄭を圍むに與ること無からんことを請ふ。之を許し、命を東に待たしむ。鄭の石甲父・侯宣多逆へて以って大子と為し、以って成を晉に求む。晉人之を許す。冬、王周公閱をして來聘せしむ。饗に昌歜(しゃうさん)・白・黑・形鹽有り。辭して曰く、「國君は、文は以って昭らかにするに足り、武は畏る可きなり。則ち備物の饗有りて、以って其の德に象る。五味を薦め、嘉穀を羞(すす)め、鹽は虎の形にして、以って其の功を獻ず。吾何を以ってか之に堪へん」と。東門襄仲將に周に聘せんとし、遂に初めて晉に聘す。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 子産、楚を禦がず冬、十月、楚子鄭を伐つ。鄭人將に之を禦がんとす。子產曰く、「晉・楚將に平らがんとし、諸侯將に和せんとす。楚王是の故に一たび來るに昧るのみ。逞くして歸らしむるに如かず。乃ち成り易からん。夫れ小人の性は、勇に釁き、禍に嗇り、以て其の性を足して、名を求むる者は、國家の利に非ざるなり。若何ぞ之に從はん」と。子展說び、寇を禦がず。十二月、乙酉、南里に入り、其の城を墮ち、樂氏に涉り、師之梁に門す。縣門發し、九人を獲たり。氾を涉りて歸る。而る後に許の靈公を葬る。衛人衛姬を晉に歸る。乃ち衛侯を釋す。君子是を以て平公の政を失ふを知る。晉の韓宣子周に聘す。王事を請はしむ。對へて曰く、「晉の士起將に時事を宰旅に歸せんとす。他事無し」と。王之を聞きて曰く、「韓氏其れ晉に昌阜ならんか。辭舊を失はず」と。齊人郟に城くの歲、其の夏、齊の烏餘廩丘を以て晉に奔る。衛の羊角を襲ひて之を取る。遂に我が高魚を襲ふ。大雨有り、其の竇より入り、其の庫に介して、以て其の城に登り、克ちて之を取る。又邑を宋に取る。是に於いて范宣子卒す。諸侯治むる能はず。趙文子政を為すに及び、乃ち卒に之を治む。文子晉侯に言ひて曰く、「晉盟主為り。諸侯或いは相侵さば、則ち討ちて其の地を歸さしむ。今烏餘の邑は、皆討類なり。而るに之を貪るは、是れ以て盟主為ること無きなり。請ふ之を歸さん」と。公曰く、「諾。孰か使ふべき」と。對へて曰く、「胥梁帶能く師を用ゐること無からん」と。晉侯往かしむ。
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『春秋左氏伝』襄公九年 君子は心を労す冬十月、諸侯鄭を伐つ。庚午、季武子・齊の崔杼・宋の皇鄖、荀罃・士匄に從ひて、鄟門(せんもん)に門す。衛の北宮括・曹人・邾人、荀偃・韓起に從ひて、師之梁に門す。滕人・薛人、欒黶・士魴に從ひて、北門に門す。杞人・郳人、趙武・魏絳に從ひて、行栗を斬る。甲戌、氾に師す。諸侯に令して曰く、「器備を脩め、餱糧を盛り、老幼を歸し、疾を虎牢に居き、眚(あやまち)を肆(ゆる)して鄭を圍め」と。鄭人恐れ、乃ち成を行ふ。中行獻子曰く、「遂に之を圍みて、以て楚人の救を待ち、而して之と戰はん。然らずんば成無し」と。知武子曰く、「之に盟を許して師を還し、以て楚人を敝れしめん。吾、四軍を三分し、諸侯の銳と與に、以て來る者を逆へば、我に於ては未だ病まず、楚は能はざらん。猶ほ戰ふに愈れり。骨を暴して以て逞しくするは、以て爭ふべからず。大勞未だ艾(をさ)まらず。君子は心を勞し、小人は力を勞す、先王の制なり」と。諸侯皆戰ふを欲せず、乃ち鄭の成を許す。
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『春秋左氏伝』襄公二十二年 子産、晋の徴朝に対う二十二年春、臧武仲晉に如く。雨ふる。御叔に過(よぎ)る。御叔其の邑に在り、將に酒を飲まんとす。曰く、「焉んぞ聖人を用ゐん。我は將に酒を飲まんとするのみ。雨に行く、何ぞ聖を以って為さん」と。穆叔之を聞きて曰く、「使ふ可からざるなり。而も使人に傲る、國の蠹なり」と。其の賦を倍せしむ。夏、晉人朝を鄭に徵す。鄭人少正公孫僑をして對へしめて曰く、「晉の先君悼公の九年に在りて、我が寡君是に於いて位に即く。位に即きて八月にして、我が先大夫子駟、寡君に從ひて以って執事に朝す。執事寡君に禮せず。寡君懼る。是の行に因りて、我が二年六月、楚に朝す。晉是を以って戲の役有り。楚人猶ほ競ひて禮を敝邑に申ぶ。敝邑執事に從はんと欲すれども、大尤と為らんことを懼る。曰く、『晉其れ我を有禮に共せずと謂はん』と。是を以って敢へて楚に攜貳せず。我が四年三月、先大夫子蟜又寡君に從ひて以って釁を楚に觀る。晉是に於いてか蕭魚の役有り。我が敝邑を謂ふ、『晉國に邇く在り。諸を草木に譬ふれば、吾が臭味なり。而るに何ぞ敢へて差池せん』と。楚も亦た競はず。寡君其の土實を盡し、之に重ぬるに宗器を以ってし、以って齊盟を受く。遂に群臣を帥ゐて執事に隨ひ、以って歲終に會す。楚に貳する者、子侯・石盂は、歸りて之を討ず。溴梁の明年、子蟜老いたり。公孫夏寡君に從ひて以って君に朝し、嘗酎に見え、燔を執るに與る。間くこと二年、君將に東夏を靖んぜんとすと聞く。
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