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春秋左氏伝 / 僖公五年 神は徳に依る

公曰:「吾享祀豐絜,神必據我。」對曰:「臣聞之,鬼神非人實親,惟德是依。故《周書》曰:『皇天無親,惟德是輔。』又曰:『黍稷非馨,明德惟馨。』又曰:『民不易物,惟德緊物。』如是,則非德,民不和,神不享矣。神所馮依,將在德矣。若晉取虞,而明德以薦馨香,神其吐之乎?」弗聽,許晉使。宮之奇以其族行,曰:「虞不臘矣,在此行也,晉不更舉矣。」

新字:公曰:「吾享祀豊絜,神必拠我。」対曰:「臣聞之,鬼神非人実親,惟徳是依。故《周書》曰:『皇天無親,惟徳是輔。』又曰:『黍稷非馨,明徳惟馨。』又曰:『民不易物,惟徳緊物。』如是,則非徳,民不和,神不享矣。神所馮依,将在徳矣。若晉取虞,而明徳以薦馨香,神其吐之乎?」弗聴,許晉使。宮之奇以其族行,曰:「虞不臘矣,在此行也,晉不更舉矣。」

書き下し

公曰く、「吾が享祀は豐絜なり、神必ず我に據らん」と。對へて曰く、「臣之を聞く、鬼神は人を實に親しむに非ず、惟だ德にのみ是れ依ると。故に『周書』に曰く、『皇天親無し、惟だ德にのみ是れ輔く』と。又曰く、『黍稷馨しきに非ず、明德惟れ馨し』と。又曰く、『民物を易へず、惟だ德のみ物なり』と。是の如くんば、則ち德に非ざれば、民和せず、神享けざらん。神の馮り依る所、將に德に在らんとす。若し晉虞を取りて、德を明らかにして以って馨香を薦めなば、神其れ之を吐かんや」と。聽かず、晉の使に許す。宮之奇其の族を以って行きて曰く、「虞は臘せざらん、此の行に在り、晉更に舉げざらん」と。

現代語訳

公は言った。「わが祭祀は豊かで清らかだ。神は必ず私に味方するだろう」。宮之奇は答えた。「私はこう聞いております。神霊は人を親しむのではなく、ただ徳にのみ依るのだと。だから『周書』に『天は親しむ者を持たず、ただ徳のある者をのみ輔ける』とあり、また『黍や稷が香るのではない、明らかな徳こそが香るのだ』とあり、また『民は供え物を変えられない、ただ徳だけが供え物なのだ』とあります。そうであるなら、徳がなければ民は和せず、神も享けません。神が依るところは、徳にあるのです。もし晋が虞を取って、徳を明らかにして香りを供えたなら、神はそれを吐き出すでしょうか」。虞公は聴かず、晋の使者に道を許した。宮之奇は一族を連れて去り、言った。「虞はもう年末の祭りを迎えられまい。この一度で決まる。晋は二度と兵を挙げる必要がない」。

解説

虞公の二つめの拠り所は「祭祀を豊かにしているから神が守る」だった。宮之奇の返答が、この段の核心である。「鬼神は人を實に親しむに非ず、惟だ德にのみ是れ依る」——神は人になつくのではなく、徳にだけ依る。だから供物の量は関係ない。「黍稷馨しきに非ず、明德惟れ馨し」——穀物が香るのではなく、徳が香るのだ。そして決定的な問いが置かれる。もし晋が虞を取り、そのうえで立派に祭祀を行ったなら、神はそれを拒むでしょうか。拒みません、という含みである。祭祀は誰の味方でもない。桓公六年の「民は神の主なり」と同じ思想が、ここでは滅びる側から語られている。

この章句が説くこと

神は徳に依る皇天無親明徳惟馨形式と実質

この一句を、あなたの毎日に。

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