春秋左氏伝 / 荘公十年 一鼓作気
既克,公問其故。對曰:『夫戰,勇氣也,一鼓作氣,再而衰,三而竭。彼竭我盈,故克之。夫大國難測也,懼有伏焉。吾視其轍亂,望其旗靡,故逐之。』
新字:既克,公問其故。対曰:『夫戦,勇気也,一鼓作気,再而衰,三而竭。彼竭我盈,故克之。夫大国難測也,懼有伏焉。吾視其轍乱,望其旗靡,故逐之。』
書き下し
既に克ちて、公其の故を問ふ。對へて曰く、「夫れ戰は、勇氣なり。一鼓にして氣を作(おこ)し、再びして衰へ、三たびして竭く。彼竭きて我盈つ、故に之に克つ。夫れ大國は測り難きなり、伏有らんことを懼る。吾其の轍の亂るるを視、其の旗の靡くを望む、故に之を逐ふ」と。
現代語訳
勝ったあとで、公はその理由を問うた。曹劌は答えた。「そもそも戦は気力です。一度目の太鼓で気力が奮い立ち、二度目で衰え、三度目で尽きます。あちらが尽きてこちらが満ちている。だから勝てたのです。大国は測りがたいもので、伏兵があるのを恐れました。私はあちらの轍が乱れているのを見、旗が倒れているのを望み見ました。だから追撃したのです」。
解説
「一鼓にして氣を作し、再びして衰へ、三たびして竭く」——一鼓作気の出典である。曹劌は斉軍が三度太鼓を打つまで待たせ、相手の気力が尽きたところで一度だけ打って攻めた。気力には波があり、しかも下り坂は自動的に来る。だから待つ。攻めどきを決めるのは自軍の準備ではなく、相手の気力の位置だという発想である。後半も見逃せない。勝ったあとも追撃をすぐには許さなかった。轍の乱れと旗の倒れを自分の目で確かめてから追った。勝っている最中こそ罠を疑う。勢いに乗ったときに一度立ち止まって確かめる、という手順が、勝因の半分を占めている。
この章句が説くこと
一鼓作気彼竭き我盈つ轍乱れ旗靡く待つ
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