春秋左氏伝 / 桓公六年 民は神の主なり
少師歸,請追楚師。隨侯將許之,季梁止之曰:「天方授楚,楚之羸,其誘我也,君何急焉?臣聞小之能敵大也,小道大淫。所謂道,忠於民而信於神也;上思利民,忠也;祝史正辭,信也。今民餒而君逞欲,祝史矯舉以祭,臣不知其可也。」公曰:「吾牲牷肥腯,粢盛豐備,何則不信?」對曰:「夫民,神之主也。是以聖王先成民,而後致力於神。故奉牲以告曰『博碩肥腯』,謂民力之普存也,謂其畜之碩大蕃滋也,謂其不疾瘯蠡也,謂其備腯咸有也。奉盛以告曰『絜粢豐盛』,謂其三時不害,而民和年豐也。奉酒醴以告曰『嘉栗旨酒』,謂其上下皆有嘉德,而無違心也。所謂馨香,無讒慝也,故務其三時,脩其五教,親其九族,以致其禋祀。於是乎民和而神降之福,故動則有成。今民各有心,而鬼神乏主,君雖獨豐,其何福之有?!君姑脩政而親兄弟之國,庶免於難。」隨侯懼而脩政,楚不敢伐。
新字:少師帰,請追楚師。随侯将許之,季梁止之曰:「天方授楚,楚之羸,其誘我也,君何急焉?臣聞小之能敵大也,小道大淫。所謂道,忠於民而信於神也;上思利民,忠也;祝史正辞,信也。今民餒而君逞欲,祝史矯舉以祭,臣不知其可也。」公曰:「吾牲牷肥腯,粢盛豊備,何則不信?」対曰:「夫民,神之主也。是以聖王先成民,而後致力於神。故奉牲以告曰『博碩肥腯』,謂民力之普存也,謂其畜之碩大蕃滋也,謂其不疾瘯蠡也,謂其備腯咸有也。奉盛以告曰『絜粢豊盛』,謂其三時不害,而民和年豊也。奉酒醴以告曰『嘉栗旨酒』,謂其上下皆有嘉徳,而無違心也。所謂馨香,無讒慝也,故務其三時,脩其五教,親其九族,以致其禋祀。於是乎民和而神降之福,故動則有成。今民各有心,而鬼神乏主,君雖独豊,其何福之有?!君姑脩政而親兄弟之国,庶免於難。」随侯懼而脩政,楚不敢伐。
書き下し
少師歸り、楚の師を追はんと請ふ。隨侯將に之を許さんとす。季梁之を止めて曰く、「天方に楚に授く。楚の羸(つか)るるは、其れ我を誘ふなり。君何ぞ焉を急がん。臣聞く、小の能く大に敵するは、小に道あり大淫なればなりと。所謂道とは、民に忠にして神に信あるなり。上民を利せんことを思ふは、忠なり。祝史辭を正しくするは、信なり。今民餒(う)ゑて君欲を逞しくし、祝史矯り舉げて以って祭る。臣其の可なるを知らざるなり」と。公曰く、「吾が牲牷は肥腯、粢盛は豐備なり。何ぞ則ち信ならざらん」と。對へて曰く、「夫れ民は、神の主なり。是を以って聖王は先づ民を成し、而る後に力を神に致す。故に牲を奉じて告げて曰く『博碩肥腯』と、民力の普く存するを謂ふなり。……今民各心有りて、鬼神主を乏く。君獨り豐かなりと雖も、其れ何の福か之れ有らん。君姑く政を脩めて兄弟の國に親しまば、庶はくは難を免れん」と。隨侯懼れて政を脩む。楚敢へて伐たず。
現代語訳
少師が帰ってきて、楚の軍を追撃しようと願い出た。随侯は許そうとした。季梁が止めて言った。「天はいま楚に味方しています。楚が疲れて見えるのは、我らを誘っているのです。君はなぜそれを急がれるのか。私はこう聞いております。小国がよく大国に敵対できるのは、小国に道があり大国が邪であるときだと。いわゆる道とは、民に忠実であり神に信があることです。上が民の利を思うのが忠、祭祀の官が偽りなく述べるのが信です。いま民は飢えているのに君は欲をほしいままにし、祭祀の官は偽って申し立てて祭っている。私にはそれでよいとは思えません」。公は言った。「わが供犠の獣は肥え、供物の穀物も豊かに備えてある。どうして信でないことがあろう」。季梁は答えた。「そもそも民は、神の主人です。だから聖王はまず民を成り立たせ、そののちに力を神に向けたのです。犠牲を供えて『大きく肥えております』と告げるのは、民の力があまねく行きわたっていることを言うのです。……いま民はそれぞれ勝手な心を抱き、神々には主人がない。君ひとりが豊かであっても、どんな福がありましょうか。君はしばらく政を修めて兄弟の国と親しくなさい。そうすれば禍を免れましょう」。随侯は恐れて政を修めた。楚は攻めてこなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十九年 民は神の主十九年春、遂に城きて之に居る。宋人滕の宣公を執ふ。夏、宋公邾の文公をして鄫子を次睢の社に用ゐしめ、以て東夷を屬せんと欲す。司馬子魚曰く、「古は六畜相為に用ゐず、小事には大牲を用ゐず、而るを況んや敢へて人を用ゐんや。祭祀は以て人の為なり。民は、神の主なり。人を用ゐば、其れ誰か之を饗けん。齊の桓公三亡國を存して以て諸侯を屬す、義士猶ほ德薄しと曰ふ。今一會にして二國の君を虐げ、又諸を淫昏の鬼に用ゐ、將に以て霸を求めんとす、亦た難からずや。死を得ば幸ひと為さん」と。秋、衛人邢を伐ち、以て菟圃の役に報ゆ。是に於いて衛大いに旱す。山川に事有らんことを卜す、吉ならず。甯莊子曰く、「昔周饑ゑ、殷に克ちて年豐かなり。今邢方に道無く、諸侯伯無し、天其れ或いは衛をして邢を討たしめんと欲するか」と。之に從ふ。師興りて雨ふる。宋人曹を圍む、服せざるを討つなり。子魚宋公に言ひて曰く、「文王崇の德亂るるを聞きて之を伐つ、軍すること三旬にして降らず。退きて教へを脩めて復た之を伐ち、壘に因りて降る。《詩》に曰く、『寡妻に刑し、兄弟に至り、以て家邦を御む』と。今君の德乃ち猶ほ闕くる所有ること無からんや、而して以て人を伐つ、之を若何せん。盍ぞ姑く內に德を省みざる、闕くる無くして而る後に動け」と。陳の穆公好を諸侯に脩めんことを請ひ、以て齊桓の德を忘るること無からんとす。冬、齊に盟ふ、桓公の好を脩むるなり。梁亡ぶ。其の主を書せざるは、自ら之を取ればなり。初め、梁伯土功を好み、亟々城きて處らず、民罷れて堪へず。則ち曰く、「某寇將に至らんとす」と。乃ち公宮に溝して曰く、「秦將に我を襲はんとす」と。民懼れて潰ゆ。秦遂に梁を取る。
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『春秋左氏伝』荘公三十二年 国将に興らんとす、民に聴く三十二年春、小谷に城く、管仲の爲なり。齊侯楚の鄭を伐つの故の爲に、會を諸侯に請ふ。宋公先づ齊侯に見えんことを請ふ。夏、梁丘に遇ふ。秋七月、神の莘に降る有り。惠王諸を內史過に問ひて曰く、「是れ何の故ぞや」と。對へて曰く、「國の將に興らんとするや、明神之に降り、其の德を監るなり。將に亡びんとするや、神又之に降り、其の惡を觀るなり。故に神を得て以って興る有り、亦た以って亡ぶる有り。虞・夏・商・周皆之有り」と。王曰く、「之を若何せん」と。對へて曰く、「其の物を以って焉に享せよ。其の至るの日は、亦た其の物なり」と。王之に從ふ。內史過往き、虢の命を請ふを聞き、反りて曰く、「虢必ず亡びん。虐にして神に聽く」と。神莘に居ること六月。虢公祝應・宗區・史嚚をして焉に享せしむ。神之に土田を賜ふ。史嚚曰く、「虢其れ亡びんか。吾之を聞く、『國將に興らんとすれば、民に聽き、將に亡びんとすれば、神に聽く』と。神は、聰明正直にして一なる者なり、人に依りて行ふ。虢涼德多し、其れ何の土をか之れ能く得ん」と。
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『春秋左氏伝』僖公五年 神は徳に依る公曰く、「吾が享祀は豐絜なり、神必ず我に據らん」と。對へて曰く、「臣之を聞く、鬼神は人を實に親しむに非ず、惟だ德にのみ是れ依ると。故に『周書』に曰く、『皇天親無し、惟だ德にのみ是れ輔く』と。又曰く、『黍稷馨しきに非ず、明德惟れ馨し』と。又曰く、『民物を易へず、惟だ德のみ物なり』と。是の如くんば、則ち德に非ざれば、民和せず、神享けざらん。神の馮り依る所、將に德に在らんとす。若し晉虞を取りて、德を明らかにして以って馨香を薦めなば、神其れ之を吐かんや」と。聽かず、晉の使に許す。宮之奇其の族を以って行きて曰く、「虞は臘せざらん、此の行に在り、晉更に舉げざらん」と。
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『春秋左氏伝』襄公十四年 天、民を生じて君を立つ師曠晉侯に侍す。晉侯曰く、「衛人其の君を出す、亦た甚だしからずや」と。對へて曰く、「或いは其の君實に甚だしきか。良君は將に善を賞して淫を刑し、民を養ふこと子の如く、之を蓋ふこと天の如く、之を容るること地の如くせんとす。民其の君を奉じ、之を愛すること父母の如く、之を仰ぐこと日月の如く、之を敬ふこと神明の如く、之を畏るること雷霆の如し。其れ出すべけんや。夫れ君は神の主なり、民の望なり。若し民の主を困しめ、神を匱しくして祀を乏しくし、百姓望みを絕ち、社稷主無くんば、將た安くにか之を用ゐん。去らずして何をか為さん。天民を生じて之に君を立て、之を司牧せしめ、性を失はしむること勿からしむ。君有りて之が貳を為り、之を師保せしめ、度を過ぐること勿からしむ。是の故に天子に公有り、諸侯に卿有り、卿は側室を置き、大夫に貳宗有り、士に朋友有り、庶人・工・商・皁・隸・牧・圉、皆親暱有りて、以って相輔佐す。善なれば則ち之を賞し、過てば則ち之を匡し、患あれば則ち之を救ひ、失へば則ち之を革む。王より以下、各父兄子弟有りて、以って其の政を補察す。史は書を為り、瞽は詩を為り、工は箴諫を誦し、大夫は規誨し、士は言を傳へ、庶人は謗り、商旅は市に于てし、百工は藝を獻ず。故に夏書に曰く、『遒人木鐸を以って路に徇へ、官師相規し、工は藝事を執りて以って諫む』と。正月孟春、是に於いてか之有り。常を失ふを諫むるなり。天の民を愛すること甚だし。豈に其れ一人をして民の上に肆にし、以って其の淫に從ひて、天地の性を棄てしめんや。必ず然らざらん」と。
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『春秋左氏伝』昭公十九年 民を撫するとは王曰く、『吾未だ吾が民を撫せず』と。今も亦た之の如し。而るに州來に城きて以て吳を挑む。能く敗るること無からんや」と。侍者曰く、「王施舍して倦まず、民を息はしむること五年、之を撫すと謂ふ可し」と。戌曰く、「吾聞く、民を撫する者は、用を内に節して、德を外に樹つ。民其の性を樂しみて、寇讎無し、と。今宮室量無く、民人日に駭き、勞罷死轉して、寢と食とを忘る。之を撫するに非ざるなり」と。鄭大いに水あり。龍時門の外の洧淵に鬥ふ。國人禜を為さんと請ふ。子產許さず。曰く、「我鬥ふも、龍我を覿ず。龍鬥ふも、我獨り何ぞ覿ん。之を禳へば、則ち彼其の室なり。吾龍に求むる無く、龍も亦た我に求むる無し」と。乃ち止むなり。令尹子瑕蹶由を楚子に言ひて曰く、「彼何の罪かある。諺に所謂『室に怒りて、市に色す』とは、楚の謂なり。前の忿りを舍てて、可なり」と。乃ち蹶由を歸す。
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