春秋左氏伝 / 隠公元年 黄泉の誓い
潁考叔為潁谷封人,聞之,有獻於公,公賜之食,食舍肉。公問之,對曰:「小人有母,皆嘗小人之食矣,未嘗君之羹,請以遺之。」公曰:「爾有母遺,繄我獨無!」潁考叔曰:「敢問何謂也?」公語之故,且告之悔。對曰:「君何患焉?若闕地及泉,隧而相見,其誰曰不然?」公從之。公入而賦:「大隧之中,其樂也融融!」姜出而賦:「大隧之外,其樂也洩洩!」遂為母子如初。
新字:潁考叔為潁谷封人,聞之,有献於公,公賜之食,食舎肉。公問之,対曰:「小人有母,皆嘗小人之食矣,未嘗君之羹,請以遺之。」公曰:「爾有母遺,繄我独無!」潁考叔曰:「敢問何謂也?」公語之故,且告之悔。対曰:「君何患焉?若闕地及泉,隧而相見,其誰曰不然?」公従之。公入而賦:「大隧之中,其楽也融融!」姜出而賦:「大隧之外,其楽也洩洩!」遂為母子如初。
書き下し
潁考叔、潁谷の封人たり。之を聞き、公に獻ずる有り。公之に食を賜ふ。食して肉を舍く。公之を問ふ。對へて曰く、「小人に母有り、皆小人の食を嘗む。未だ君の羹を嘗めず。請ふ以って之に遺らん」と。公曰く、「爾に母の遺る有り、繄(ああ)我獨り無し」と。潁考叔曰く、「敢へて問ふ、何の謂ぞや」と。公之に故を語り、且つ之に悔ゆるを告ぐ。對へて曰く、「君何をか焉を患へん。若し地を闕(ほ)りて泉に及び、隧(みち)して相ひ見れば、其れ誰か然らずと曰はんや」と。公之に從ふ。公入りて賦す、「大隧の中、其の樂しきや融融たり」と。姜出でて賦す、「大隧の外、其の樂しきや洩洩たり」と。遂に母子初めの如し。
現代語訳
潁考叔は潁谷の国境役人であった。この一件を聞いて、公に献上物を持って行った。公は食事を与えた。潁考叔は食べながら肉を脇に置いた。公が理由を尋ねると、答えた。「私には母がおります。私の食べ物はみな味わっておりますが、まだ君のお吸い物を味わったことがありません。どうかこれを持ち帰らせてください」。公は言った。「おまえには贈る母がいる。ああ、私にだけそれがない」。潁考叔が「恐れながらお尋ねします、どういうことでしょうか」と言うと、公はいきさつを語り、後悔していることも告げた。潁考叔は答えた。「君は何を心配なさるのですか。地を掘って泉に届き、その隧道の中でお会いになれば、誰が違うと言いましょうか」。公はそれに従った。公は入って歌った。「大いなる隧道の中、その楽しさは満ち足りている」。姜氏は出て歌った。「大いなる隧道の外、その楽しさは晴れやかだ」。こうして母子はもとどおりになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 鄭世家莊公其の母武姜を城潁に遷し、誓ひて言ひて曰く、「黄泉に至らずんば、相見ゆる毋からん」と。居ること歳餘、已に悔いて母を思ふ。潁谷の考叔公に献ずる有り、公食を賜ふ。考叔曰く、「臣に母有り、請ふ君の賜ふ食を臣の母に食らはしめん」と。莊公曰く、「我甚だ母を思ふ、盟に負くを悪む、柰何」と。考叔曰く、「地を穿ちて黄泉に至らば、則ち相見えん」と。是に於て遂に之に従ひ、母に見ゆ。
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『春秋左氏伝』隠公元年 孝子匱しからず君子曰く、「潁考叔は純孝なり。其の母を愛して、施いて莊公に及ぶ。詩に曰く、『孝子匱しからず、永く爾の類に錫ふ』と。其れ是を之れ謂ふか」と。秋、七月、天王宰咺をして來りて惠公・仲子の賵を歸らしむ。緩し、且つ子氏未だ薨ぜず、故に名いふ。天子は七月にして葬り、同軌畢く至る。諸侯は五月、同盟至る。大夫は三月、同位至る。士は月を踰え、外姻至る。死に贈りて尸に及ばず、生を弔ひて哀に及ばず、凶事を豫めするは、禮に非ざるなり。八月、紀人夷を伐つ。夷告げず、故に書せず。蜚有り。災を為さず、亦た書せず。惠公の季年、宋の師を黃に敗る。公立ちて、成を求む。九月、宋人と宿に盟ふ、始めて通ずるなり。冬、十月、庚申、惠公を改葬す。公臨まず、故に書せず。惠公の薨ずるや、宋の師有り、太子少し、葬に故に闕有り、是を以って改葬す。衛侯來りて葬に會す、公に見えず、亦た書せず。鄭の共叔の亂に、公孫滑出でて衛に奔る。衛人之が為に鄭を伐ち、廩延を取る。鄭人王の師・虢の師を以って衛の南鄙を伐つ。師を邾に請ふ。邾子私かに公子豫に使ひす。豫往かんと請ふ、公許さず、遂に行く。邾人・鄭人と翼に盟ふ。書せざるは、公の命に非ざればなり。新たに南門を作る。書せざるは、亦た公の命に非ざればなり。十二月、祭伯來る、王命に非ざるなり。眾父卒す。公小斂に與らず、故に日を書せず。
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『春秋左氏伝』隠公元年 隠公、位を摂す惠公の元妃は孟子なり。孟子卒し、繼室は聲子を以ってし、隱公を生む。宋の武公仲子を生む。仲子生まれて文の其の手に有り、「魯の夫人と爲らん」と曰ふ。故に仲子我に歸ぎ、桓公を生みて惠公薨ず。是を以って隱公立ちて之を奉ず。元年春、王の周正月。即位を書せざるは、攝なればなり。三月、公邾の儀父と蔑に盟ふ。邾子克なり。未だ王命あらず、故に爵を書せず。「儀父」と曰ふは、之を貴ぶなり。公位を攝して好を邾に求めんと欲す、故に蔑の盟を為す。夏四月、費伯師を帥ゐて郎に城く。書せざるは、公の命に非ざればなり。
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『春秋左氏伝』隠公元年 厚ければ将に崩れん既にして大叔、西鄙・北鄙に命じて己に貳せしむ。公子呂曰く、「國は貳に堪へず、君將に之を若何せんとする。大叔に與へんと欲せば、臣請ふ之に事へん。若し與へずんば、則ち請ふ之を除かん。民の心を生ずること無かれ」と。公曰く、「庸ゐること無し、將に自ら及ばんとす」と。大叔又貳を收めて以って己が邑と為し、廩延に至る。子封曰く、「可なり。厚くして將に眾を得んとす」と。公曰く、「義ならず、暱まず、厚くとも將に崩れんとす」と。大叔完め聚め、甲兵を繕ひ、卒乘を具へ、將に鄭を襲はんとす。夫人將に之を啟かんとす。公其の期を聞きて曰く、「可なり」と。子封に命じて車二百乘を帥ゐて以って京を伐たしむ。京大叔段に叛く。段鄢に入る。公諸を鄢に伐つ。五月辛丑、大叔出でて共に奔る。書に曰く、「鄭伯段に鄢に克つ」と。段弟たらず、故に弟と言はず。二君の如し、故に克つと曰ふ。鄭伯と稱するは、教へを失ふを譏るなり。之を鄭の志と謂ふ。出奔と言はざるは、之を難ずるなり。遂に姜氏を城潁に寘きて、之に誓ひて曰く、「黃泉に及ばずんば、相見ること無からん」と。既にして之を悔ゆ。
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『春秋左氏伝』隠公元年 鄭伯克段初め、鄭の武公、申に娶る、武姜と曰ふ。莊公及び共叔段を生む。莊公寤生(ごせい)して、姜氏を驚かす。故に名づけて「寤生」と曰ひ、遂に之を惡む。共叔段を愛し、之を立てんと欲す。亟(しばしば)武公に請ふも、公許さず。莊公即位するに及び、之が為に制を請ふ。公曰く、「制は巖邑なり、虢叔焉に死せり。佗邑は唯だ命のままに」と。京を請ひ、之を居らしむ。之を京城大叔と謂ふ。祭仲曰く、「都城の百雉に過ぐるは、國の害なり。先王の制、大都は國の三分の一に過ぎず、中は五分の一、小は九分の一。今京は度ならず、制に非ざるなり。君將に堪へざらんとす」と。公曰く、「姜氏之を欲す、焉くんぞ害を辟けん」と。對へて曰く、「姜氏何の厭くこと之れ有らんや。早く之が所を為し、滋す蔓らしむること無きに如かず。蔓らば、圖り難きなり。蔓草すら猶ほ除く可からず、況んや君の寵弟をや」と。公曰く、「不義を多く行へば、必ず自ら斃る。子姑く之を待て」と。
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『春秋左氏伝』宣公二年 過ちて改むる……晉の靈公君たらず。斂を厚くして以って牆を彫り、臺上より人を彈じて、其の丸を辟くるを觀る。宰夫熊蹯を胹(に)て熟せず、之を殺し、諸を畚(ふご)に寘き、婦人をして載せて朝を過ぎしむ。趙盾・士季、其の手を見て、其の故を問ひて、之を患ふ。將に諫めんとす。士季曰く、「諫めて入らずんば、則ち之に繼ぐ莫きなり。會請ふ先んぜん、入らずんば、則ち子之に繼げ」と。三たび進みて溜に及び、而る後に之を視て曰く、「吾過つ所を知れり、將に之を改めん」と。稽首して對へて曰く、「人誰か過ち無からん。過ちて能く改むる、善之より大なるは莫し。詩に曰く、『初め有らざる靡し、克く終はり有るは鮮し』と。夫れ是の如くんば、則ち能く過ちを補ふ者鮮し。君能く終はり有らば、則ち社稷の固めなり、豈に惟だ群臣のみ之に賴らんや。又曰く、『袞職闕くる有り、惟だ仲山甫のみ之を補ふ』と。能く過ちを補ふなり。君能く過ちを補はば、袞廢れざらん」と。猶ほ改めず。……
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