信心銘 / 第二十三章
極大同小 不見邊表 有即是無 無即是有 若不如是 必不須守
新字:極大同小 不見辺表 有即是無 無即是有 若不如是 必不須守
書き下し
極大(ごくだい)は小(しょう)に同(おな)じく、邊表(へんぴょう)を見(み)ず。有(う)は即(すなは)ち是(こ)れ無(む)、無(む)は即(すなは)ち是(こ)れ有(う)なり。若(も)し是(かく)の如(ごと)くならずんば、必(かなら)ず守(まも)るを須(もち)ゐず。
現代語訳
極めて大きいものは小さいものと同じで、その端も表も見えない。有はそのまま無であり、無はそのまま有である。もしこのようでないならば、それは必ず守るには値しない。
解説
前章の「極小同大」を裏返して「極大同小」と畳みかけ、大小の消滅を確認する。「不見邊表」——端も外側も見えない。境目が無いのだから、内と外も立たない。続く「有即是無、無即是有」は『般若心経』の色即是空・空即是色と同じ構図で、有無の対がここで解体される。注目したいのは最後の二句である。「若不如是、必不須守」——このようでないなら守るに及ばない。ここには基準の逆転がある。ふつう教えは守るべきものとして与えられるが、この書は「有無が別だと感じられるうちは、その理解を後生大事にするな」と言う。信じて抱え込むことを一貫して警戒してきた書が、自分の教説にも同じ刃を向けている。
この章句が説くこと
極大同小辺表有即是無守
関連する章句
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