信心銘 / 第二十章
虛明自照 不勞心力 非思量處 識情難測 真如法界 無他無自
新字:虚明自照 不労心力 非思量処 識情難測 真如法界 無他無自
書き下し
虛明(こみょう)自(おのづか)ら照(て)らし、心力(しんりき)を勞(ろう)せず。思量(しりょう)の處(ところ)に非(あら)ず、識情(しきじょう)測(はか)り難(がた)し。真如(しんにょ)法界(ほっかい)、他(た)無(な)く自(じ)無(な)し。
現代語訳
空にして明らかなものはおのずと照らし、心の力を使うことがない。思いはかりの及ぶ場所ではなく、意識や感情では測りきれない。真如の法界には、他も無く自も無い。
解説
「虛明自照、不勞心力」は、第六章の「返照」がはたらいている状態を述べたものである。照らそうと努力するのではなく、おのずと照っている。努力の抜けた明るさであることを「不勞心力」の四字が保証している。「非思量處」の語は、のちに道元が坐禅の要諦として「非思量」と用いたことで日本では特に知られる。考えるのでも考えないのでもない領域であり、意識と感情(識情)の測定器では針が振れない。そして「無他無自」。第九章で示された能と境の相互依存が、ここで自他の消滅として言い直される。自分という測定者が消えれば、測られる他も消える。孤独の反対語が、つながりではなく自他の不成立として提示されているのは、この書らしい着地である。
この章句が説くこと
虚明自照非思量識情無他無自
関連する章句
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