信心銘 / 第十八章
止動無動 動止無止 兩既不成 一何有爾 究竟窮極 不存軌則
新字:止動無動 動止無止 両既不成 一何有爾 究竟窮極 不存軌則
書き下し
止(し)は動(どう)ずるも動(どう)無(な)く、動(どう)は止(や)むも止(し)無(な)し。兩(りょう)既(すで)に成(な)らず、一(いつ)何(なん)ぞ爾(しか)ること有(あ)らん。究竟(くきょう)窮極(ぐうごく)には、軌則(きそく)を存(そん)せず。
現代語訳
静止は動いても動くということがなく、動きは止んでも止まるということがない。二つがそもそも成り立たないのだから、一つがどうしてそうあり得よう。究極のきわみには、規則というものが存在しない。
解説
動と静の対を、ここで完全に解体する。止まっているとされるものが動いても「動」という実体は無く、動いているものが止んでも「止」という実体は無い。対の両方が成り立たない以上、それを束ねた「一」も成り立たない。第八章の「一亦莫守」が、ここで論理として完結する。そして結論が置かれる。「究竟窮極、不存軌則」——きわまったところに規則は無い。これは何をしてもよいという意味ではない。規則は二つに分けた世界を運転するための道具であり、分けることをやめた場所には持ち込む先が無いということである。禅がしばしば型を極めた末に型を捨てる道筋をたどるのは、この一句と地続きになっている。
この章句が説くこと
動と止両不成究竟軌則