信心銘 / 第十七章
一如體玄 兀爾忘緣 萬法齊觀 歸復自然 泯其所以 不可方比
新字:一如体玄 兀爾忘縁 万法斉観 帰復自然 泯其所以 不可方比
書き下し
一如(いちにょ)は體(たい)玄(げん)にして、兀爾(ごつじ)として緣(えん)を忘(わす)る。萬法(まんぼう)齊(ひと)しく觀(かん)ずれば、自然(じねん)に歸復(きふく)す。其(そ)の所以(ゆゑん)を泯(ほろ)ぼせば、方比(ほうひ)す可(べ)からず。
現代語訳
一如はその本体が奥深く、岩のように動じないまま、縁を忘れている。あらゆるものを等しく観れば、おのずとそのままに帰る。その理由・根拠を消し去ってしまえば、もはや何かと比べようがない。
解説
「兀爾」は、山がそびえて動かないさま。縁を忘れるとは、あれが原因でこうなったという関係づけの網から離れることをいう。「萬法齊觀」——等しく観る。上下も優劣もつけない見方が回復されると、「歸復自然」、もとのままに帰る。ここで最も重い句は「泯其所以」である。所以、すなわち理由や根拠を消す。なぜそうなのかという問いごと消えてしまう。理由が無くなれば「不可方比」、比較の足場がなくなる。人が何かを比べられるのは、比べるための基準=所以を握っているからだ。基準を手放したとき比較は成立しない。他人と比べて苦しむ構造の、根に触れている一章である。
この章句が説くこと
一如兀爾斉観方比
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