信心銘 / 第十三章
不好勞神 何用疏親 欲取一乘 勿惡六塵 六塵不惡 還同正覺
新字:不好労神 何用疏親 欲取一乗 勿悪六塵 六塵不悪 還同正覚
書き下し
好(よ)からざれば神(しん)を勞(ろう)す、何(なん)ぞ疏親(そしん)を用(もち)ゐん。一乘(いちじょう)を取(と)らんと欲(ほっ)せば、六塵(ろくじん)を惡(にく)む勿(なか)れ。六塵(ろくじん)を惡(にく)まざれば、還(かへ)って正覺(しょうがく)に同(おな)じ。
現代語訳
よくないと思えば心を疲れさせる。どうして疎んじたり親しんだりする必要があろう。ただ一つの乗り物(一乗)を得たいと思うなら、六つの感覚の対象を憎んではならない。六塵を憎まなければ、それがそのまま正覚と同じである。
解説
「六塵」は色・声・香・味・触・法、すなわち感覚に触れてくる世界のすべてを指す。修行者はしばしばこれを煩悩の入口として遠ざけようとする。信心銘はそこを真正面から否定する。「六塵不惡、還同正覺」——嫌わなければ、それがもう悟りと同じだ、と。世界を汚れたものとして退けるのは、清と濁を分ける揀擇であり、冒頭の一句に戻ってしまう。ここには、見るもの聞くものを断つのではなく、憎まないという一点だけを説く実践がある。環境を整えて刺激を減らす方向ではなく、刺激をそのままにして嫌悪をやめる方向。難易度は高いが、逃げ場のない日常に置かれた人には、こちらのほうが現実的な道である。
この章句が説くこと
一乗六塵疎親正覚
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