信心銘 / 第十二章
放之自然 體無去住 任性合道 逍遙絕惱 繫念乖真 昏沉不好
新字:放之自然 体無去住 任性合道 逍遥絶悩 繋念乖真 昏沈不好
書き下し
之(これ)を放(はな)てば自然(じねん)にして、體(たい)に去住(こじゅう)無(な)し。性(しょう)に任(まか)せて道(どう)に合(かな)へば、逍遙(しょうよう)して惱(なやみ)を絕(た)つ。念(ねん)を繫(つな)げば真(しん)に乖(そむ)き、昏沉(こんじん)なるは好(よ)からず。
現代語訳
手を放せばおのずとそうなり、本体には去るも留まるもない。ありのままの性に任せて道にかなえば、のびやかに歩んで悩みが絶える。思いを一点に縛りつければ真実に背き、また沈みこんで鈍くなるのもよくない。
解説
前章の「執之失度」を受けて、手放したときに何が起こるかを描く。「放之自然」——放てば、おのずと。「體無去住」、本体には来去も滞留もない。ここに至って初めて「逍遙」という語が出てくる。荘子と共有する語で、目的地に向かって進むのではなく、そぞろ歩くさまをいう。禅の道行きが行軍ではなく散歩に喩えられていることは見逃せない。ただし最後の二句で両側から釘が刺される。「繫念乖真」——思いを一点に縛ればずれる。集中も執着の一種だという。そして「昏沉不好」——ではぼんやりすればいいのかというと、それも駄目だ。緊張しすぎず、沈みこまず。坐禅でいう掉挙と昏沈の両方を避けるという実践上の要点が、ここに置かれている。
この章句が説くこと
任性合道逍遥繋念昏沈
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