信心銘 / 第八章
纔有是非 紛然失心 二由一有 一亦莫守 一心不生 萬法無咎
新字:纔有是非 紛然失心 二由一有 一亦莫守 一心不生 万法無咎
書き下し
纔(わづ)かに是非(ぜひ)有(あ)れば、紛然(ふんぜん)として心(しん)を失(うしな)ふ。二(に)は一(いつ)に由(よ)りて有(あ)り、一(いつ)も亦(ま)た守(まも)る莫(な)かれ。一心(いっしん)生(しょう)ぜざれば、萬法(まんぼう)咎(とが)無(な)し。
現代語訳
わずかでも是と非が生じれば、たちまち紛れて心を見失う。二は一があるから成り立つのだから、その一もまた守り抱えてはならない。一という心さえ起こらなければ、あらゆるものごとに何の咎もない。
解説
ここで論の水準が一段上がる。前章までは「二つに分けるな、一つに帰れ」と読めた。ところがこの章は「一亦莫守」——その一も守るな、と言う。二は一を立てたから生まれる。一と言った瞬間に二が生まれてしまう以上、一に安住することは対立を温存することにほかならない。だから「一心不生」、一という思いすら起こさない。すると「萬法無咎」、世界の側には初めから何の問題も無かったことになる。問題が消えるのではなく、問題は最初からこちら側にあった、という順序が示されている。統合や調和を掲げること自体がまだ分裂を前提にしているという指摘は、和を語る場面ほど痛い。
この章句が説くこと
是非二と一一心不生万法無咎
関連する章句
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