史記 / 陳杞世家
太史公曰:舜之德可謂至矣!禪位於夏,而後世血食者歷三代。及楚滅陳,而田常得政於齊,卒為建國,百世不絕,苗裔茲茲,有土者不乏焉。
新字:太史公曰:舜之徳可謂至矣!禅位於夏,而後世血食者歴三代。及楚滅陳,而田常得政於斉,卒為建国,百世不絶,苗裔茲茲,有土者不乏焉。
書き下し
太史公曰く、「舜の徳は至れりと謂ふ可し。位を夏に禅り、而して後世血食する者三代を歴たり。楚陳を滅ぼすに及び、而して田常齊に政を得、卒に建国を為し、百世絶えず、苗裔茲茲として、土有る者乏しからず」と。
現代語訳
太史公は言う。「舜の徳は至れり尽くせりと言ってよい。位を夏(禹)に禅り、それでいて後世まで子孫が祭祀を受け続けること、三つの王朝を経てなお続いた。楚が陳を滅ぼしたのちも、田常は齊で政権を握り、ついに国を建て、百代にわたって絶えなかった。その子孫は次々と栄え、領地を持つ者に事欠かなかった」。
解説
「真の徳は、その人の代で終わらず、百世を超えて、子孫を守り続ける」——司馬遷が、聖王・舜の徳の、遠大な余光を讃えた、この篇の——そして、この史記編纂の——結びの一つです。司馬遷は、(陳という国が、聖王・舜の子孫の国であったことから、)その始祖・舜の徳に、思いを馳せ、こう、讃えます。「舜の徳は——まことに、(人としての)究極に、達していたと、言うべきであろう(舜之德可謂至矣)」と。そして、その徳が、いかに、長く、その子孫を、守り続けたかを、(歴史の事実によって、)示していきます。第一に。「舜は、(自らの子に、位を譲らず、)その位を、(有徳の)禹(=夏王朝)に、禅譲した。——それにもかかわらず、(いや、それゆえに、)その後世の、(舜の)子孫たちは、(諸侯として、)夏・殷・周の、三代(=二千年近く)にわたって、その祭祀を、絶やすことなく、続けることが、できたのだ」と。私欲を捨てて、位を譲った者の、子孫が、かえって、最も、長く、栄えた。第二に。「(やがて、舜の子孫の国である)陳が、楚に、滅ぼされた(=家名が、絶えたかに、見えた)。——ところが。(その、陳の公子の、末裔である)田常が、(亡命先の)齊で、政権を、握り、ついには、(齊という)一国を、(乗っ取る形で、)建国するに、至った。——そして、その血統は、百世代にも、わたって、絶えることなく、その子孫は、次々と、栄え広がり、(各地で、)領地を持つ者が、絶えることが、なかったのである(百世不絕、苗裔茲茲、有土者不乏焉)」と。国が、滅んでさえ——その徳の、余光は、子孫を、別の場所で、再び、興隆させ、百世代にも、わたって、栄えさせ続けた、というのです。ここに、徳の永続性についての教訓があります。第一に、真の徳は——その人が、生きている、その代だけで、終わるのではなく、(目に見えない、大きな財産として、)子孫や、後継者たちを、百世代にも、わたって、守り、支え続けるということ(百世不絕)。第二に、とりわけ——(舜が、我が子でなく、有徳の禹に、位を譲ったように、)私欲を捨て、無私であった者の、その徳が、かえって、(皮肉にも、)最も長く、その子孫を、栄えさせたということ。私欲で、子孫に、(地位や、財産を、)残そうとする者より——無私の徳を、残した者のほうが、はるかに、確かな、遺産を、残す。第三に、そして——たとえ、一度、(国が滅ぶような、)決定的な、破綻を、経験しても、その、徳の余光があれば、(別の形で、別の場所で、)必ず、再び、興隆する、ということ。組織や人生で、真の徳がその人の代で終わらず後継者を長く守り支え続けると信じること、私欲で財産を残すより無私の徳を残すほうがはるかに確かな遺産になると理解すること、そして決定的な破綻を経験しても徳の余光があれば必ず再び興隆すると信じること——司馬遷の舜評は、徳こそが、時を超えて残る、真の遺産であることを教えます。
この章句が説くこと
陳杞世家太史公評舜之徳可謂至矣真の徳は百世を超えて子孫を守る百世不絶私欲でなく無私の徳を残す
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『長短経』運命史記陳世家に曰く「陳は舜の後なり。周の武王之を陳に封ず」と。太史公云う「舜の徳は至れり。夏に禅りて、後世血食する者、三代を歴たり。楚の陳を滅ぼすに及びて、田氏は政を斉に得、卒に建国を為し、百世絶えず」と。又た南越伝に云う「越は蛮夷なりと雖も、其の先豈に嘗て大功徳を人に有せんや。何ぞ其れ久しきや。数代を歴て、嘗て君王たり、勾践一たび伯を称す。蓋し禹の烈なり」と。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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