史記 / 燕召公世家
燕王噲死問孤,與百姓同甘苦。二十八年,燕國殷富,士卒樂軼輕戰,於是遂以樂毅爲上將軍,與秦、楚、三晉合謀以伐齊。齊兵敗,湣王出亡於外。
新字:燕王噲死問孤,与百姓同甘苦。二十八年,燕国殷富,士卒楽軼軽戦,於是遂以楽毅為上将軍,与秦、楚、三晋合謀以伐斉。斉兵敗,湣王出亡於外。
書き下し
死を弔ひ孤を問ひ、百姓と甘苦を同じくす。二十八年、燕国殷富にして、士卒楽軼して戦を軽んず。是に於て遂に楽毅を以て上将軍と為し、秦・楚・三晋と合謀して以て斉を伐つ。斉の兵敗れ、湣王出でて外に亡ぐ。
現代語訳
(燕の昭王は)死者を弔い、孤児を見舞い、民と苦楽を共にした。即位二十八年、燕の国は豊かになり、兵士たちは生き生きとして戦いを恐れなくなった。そこで昭王はついに楽毅を上将軍に任じ、秦・楚・三晋(韓・魏・趙)と共謀して斉を討った。斉軍は敗れ、湣王は国外へ逃げ出した。
解説
斉に国を踏みにじられた燕の昭王が、国力を立て直して報復を果たすまでを凝縮した段です。昭王は即位後、賢者を手厚く招く一方で、戦死者を弔い、孤児を見舞い、民と苦楽を共にしました。二十八年という長い歳月をかけて国を富ませ、兵士の士気を高めたうえで、名将楽毅を上将軍に任じて諸国と連合し、ついに斉を破ります。司馬遷がここで年数をはっきり記しているのは、復讐が一時の激情ではなく、長い準備の結果だったことを伝えるためでしょう。郭隗の「まず隗より始めよ」で知られる人材招致の話と表裏をなし、人を集めることと民の生活を立て直すことが両輪であったとわかります。大きな失敗の後に組織を建て直すには、まず傷ついた人々に寄り添い、力を蓄える時間を惜しまないことが大切だと教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
再建燕昭王二十八年の雌伏民心壊滅からの再建楽毅
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戦国策・燕昭王收破燕後即位燕の昭王、破燕を收めて後即位し、身を卑くして幣を厚くし、以て賢者を招き、將に以て讎に報いんと欲す。故に往きて郭隗先生を見て曰く、「齊孤國の亂に因りて、燕を襲い破れり。孤極めて燕の小さく力少なく、以て報ゆるに足らざるを知る。然れども賢士を得て國を共にし、以て先王の恥を雪がば、孤の願いなり。敢えて問う、國を以て讎に報ゆる者は柰何」と。郭隗先生對えて曰く、「帝者は師と處り、王者は友と處り、霸者は臣と處り、亡國は役と處る。指を詘して之に事え、北面して學を受くれば、則ち己に百する者至らん。先んじて趨り後れて息い、先んじて問い後れて嘿せば、則ち己に什する者至らん。人趨れば己趨れば、則ち己が若き者至らん。几に馮り杖に據り、眄視して指使すれば、則ち廝役の人至らん。若し恣睢奮擊し、呴籍叱咄すれば、則ち徒隸の人至らん。此れ古の道を服し士を致すの法なり。王誠に國中の賢者を博選し、其の門下に朝せば、天下王の其の賢臣に朝するを聞き、天下の士必ず燕に趨らん」と。昭王曰く、「寡人誰にか朝して可ならん」と。郭隗先生曰く、「臣聞く、古の君人、千金を以て千里の馬を求むる者有り、三年得る能わず。涓人君に言いて曰く、『請う之を求めん』と。君之を遣わす。三月にして千里の馬を得たるも、馬已に死せり、其の首を買うこと五百金、反りて以て君に報ず。君大いに怒りて曰く、『求むる所の者は生馬なり、安んぞ死馬を事として五百金を捐てんや』と。涓人對えて曰く、『死馬すら且つ之を買うこと五百金、況んや生馬をや。天下必ず王を以て能く馬を市うと為さん、馬今に至らん』と。是に於て期年ならずして、千里の馬至る者三たり。今王誠に士を致さんと欲せば、先ず隗より始めよ。隗すら且つ事えられん、況んや隗より賢なる者をや。豈に千里を遠しとせんや」と。是に於て昭王隗の爲に宮を築きて之に師とす。樂毅魏より往き、鄒衍齊より往き、劇辛趙より往き、士爭いて燕に湊まる。燕王死を弔い生を問い、百姓と其の甘苦を同じくす。二十八年、燕國殷富にして、士卒佚を樂しみ戰いを輕んず。是に於て遂に樂毅を以て上將軍と為し、秦・楚・三晉と合謀して以て齊を伐つ。齊兵敗れ、閔王外に走出す。燕兵獨り北を追いて臨淄に入り至り、齊の寶を盡く取り、其の宮室宗廟を燒く。齊城の下らざる者は、唯だ獨り莒・即墨のみ。
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史記 燕召公世家燕昭王郭隗に謂ひて曰く、「誠に賢士を得て以て国を共にし、以て先王の恥を雪がんこと、孤の願ひなり。先生可なる者を視よ、身を得て之に事へん」と。郭隗曰く、「王必ず士を致さんと欲せば、先づ隗より始めよ。況んや隗より賢なる者、豈に千里を遠しとせんや」と。是に於て昭王隗の為に改めて宮を筑き之に師事す。楽毅魏より往き、鄒衍齊より往き、劇辛趙より往く、士争ひて燕に趨る。
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『新序』雜事第三燕の易王の時、國大いに亂る。齊の閔王師を興して燕を伐ち、燕國を屠り、其の寶器を載せて歸る。易王死し、燕國復するに及び、太子立ちて燕王と爲る。是れ燕の昭王爲り。昭王賢なり。即位して身を卑くし幣を厚くし、以て賢者を招く。郭隗に謂いて曰く、齊孤が國の亂に因りて、襲いて燕を破る。孤極めて燕の小さく力少なく、以て報ゆるに足らざるを知る。然れども賢士を得て與に國を共にし、以て先王の醜を雪ぐは、孤の願いなり。可なる者を視ば、身を得て之に事えん、と。隗曰く、臣聞く、古の人君に、千金を以て千里の馬を求むる者有り。三年にして得る能わず。涓人君に言いて曰く、請う之を求めん、と。君之を遣る。三月にして千里の馬を得たり。馬已に死せり。其の骨を五百金に買い、反りて以て君に報ず。君大いに怒りて曰く、求むる所の者は生馬なり。安んぞ死馬を用いて五百金を捐てんや、と。涓人對えて曰く、死馬すら且つ之を五百金に市う。况んや生馬をや。天下必ず王を以て能く馬を市うと爲さん。馬今に至らん、と。是に於いて期年ならずして、千里の馬の至る者二なり。今王誠に必ず士を致さんと欲さば、請う隗より始めよ。隗すら且つ事えらる。况んや隗より賢なる者をや。豈に千里を遠しとせんや、と。是に於いて昭王隗の爲に宮を築きて之を師とす。樂毅は魏より往き、鄒衍は齊より往き、劇辛は趙より往き、士争いて燕に走る。燕王死を弔い孤を問い、百姓と甘苦を同じくすること二十八年。燕國殷富し、士卒樂軼して戰いを輕んず。是に於いて遂に樂毅を以て上將軍と爲し、秦・楚・三晉と謀を合わせて以て齊を伐つ。樂毅の策は、賢を得るの功なり。
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史記 燕召公世家燕の兵独り北ぐるを追ひ、入りて臨淄に至り、尽く斉の宝を取り、其の宮室宗廟を焼く。斉の城の下らざる者は、独り唯だ聊・莒・即墨のみ。其の余は皆燕に属すること、六歳。昭王三十三年にして卒し、子の恵王立つ。恵王の太子為りし時、楽毅と隙有り。即位するに及びて、毅を疑ひ、騎劫をして代はりて将たらしむ。楽毅亡げて趙に走る。斉の田単即墨を以て撃ちて燕の軍を敗り、騎劫死し、燕の兵引き帰り、斉悉く復た其の故城を得たり。閔王莒に死し、乃ち其の子を立てて襄王と為す。恵王七年にして卒す。韓・魏・楚共に燕を伐つ。燕の武成王立つ。武成王の七年、斉の田単我を伐ち、中陽を抜く。十三年、秦趙を長平に敗ること四十余万。十四年、武成王卒し、子の孝王立つ。孝王の元年、秦の邯鄲を囲む者解き去る。三年にして卒し、子の今王喜立つ。今王喜の四年、秦の昭王卒す。燕王相の栗腹に命じて歓を趙に約し、五百金を以て趙王の酒と為さしむ。還りて燕王に報じて曰く、「趙王の壮者は皆長平に死し、其の孤は未だ壮ならず、伐つべきなり」と。王、昌国君楽間を召して之を問ふ。対へて曰く、「趙は四戦の国なり。其の民兵に習ふ。伐つべからず」と。王曰く、「吾五を以て一を伐たん」と。対へて曰く、「不可なり」と。燕王怒り、群臣皆以て可と為す。卒に二軍を起こし、車二千乗、栗腹将として鄗(こう)を攻め、卿秦代を攻む。唯だ独り大夫将渠燕王に謂ひて曰く、「人と関を通じ交はりを約し、五百金を以て人の王に飲ましめ、使者報じて反って之を攻むるは、不祥なり。兵に成功無からん」と。燕王聴かず、自ら偏軍を将ゐて之に随ふ。将渠燕王の綬を引きて之を止めて曰く、「王必ず自ら往くこと無かれ。往くも成功無からん」と。王之を蹵(け)るに足を以てす。将渠泣きて曰く、「臣は以て自らの為にするに非ず、王の為なり」と。燕の軍宋子に至る。趙廉頗をして将たらしめ、撃ちて栗腹を鄗に破る。楽乗卿秦を代に破る。
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史記 楽毅列伝臣聞く、賢聖の君は禄を以て親に私せず、その功多き者はこれを賞し、その能当たる者はこれに処らしむ。故に能を察して官を授くる者は、成功の君なり。行ひを論じて交はりを結ぶ者は、立名の士なり。臣竊かに先王の挙を観るに、世主より高きの心有るを見る、故に節を魏に仮りて、身を以て燕に察せらるるを得たり。先王過りて挙げ、これを賓客の中に廁へ、これを群臣の上に立て、父兄に謀らずして、以て亜卿と為す。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく令を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、故に令を受けて辞せず。先王これに命じて曰く、「我に斉に積怨深怒有り、軽弱を量らずして、斉を以て事と為さんと欲す」と。臣曰く、「夫れ斉は霸国の余業にして最勝の遺事なり。兵甲に練れ、戦攻に習ふ。王若しこれを伐たんと欲せば、必ず天下と与にこれを図れ。天下と与にこれを図らば、趙に結ぶに若くは莫し。且つまた淮北・宋の地は、楚・魏の欲する所なり、趙若し許して四国に約してこれを攻めば、斉大いに破るべきなり」と。先王以て然りと為し、符節を具へて南のかた臣を趙に使はす。顧みて反命し、兵を起こして斉を撃つ。天の道、先王の霊を以て、河北の地先王に随ひてこれを済上に挙ぐ。済上の軍命を受けて斉を撃ち、大いに斉人を敗る。軽卒鋭兵、長駆して国に至る。斉王遁れて莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉財宝車甲珍器、尽く収めて燕に入る。斉の器は寧台に設けられ、大呂は元英に陳ねられ、故鼎は磿室に反り、薊丘の植は汶篁に植う。五伯より已来、功の未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て志に慊しと為し、故に地を裂きてこれを封じ、小国の諸侯に比するを得しむ。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく命を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、是を以て命を受けて辞せず。臣聞く、賢聖の君は、