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史記 / 魏世家

太史公曰、吾故の大梁の墟に適く。説く者皆魏の信陵君を用ゐざるを以ての故に、国削弱して亡ぶに至ると曰ふ。余以て然らずと為す。天方に秦をして海内を平らげしむ、其の業未だ成らず、魏阿衡の佐を得と雖も、曷ぞ益あらんや。

書き下し

太史公曰く、「吾故の大梁の墟に適く。説く者皆魏の信陵君を用ゐざるを以ての故に、国削弱して亡ぶに至ると曰ふ。余以て然らずと為す。天方に秦をして海内を平らげしむ、其の業未だ成らず、魏阿衡の佐を得と雖も、曷ぞ益あらんや」と。

現代語訳

「一つの原因に、すべてを帰してはならない——時勢という、抗いがたい大きな流れもある」——魏の滅亡の原因を、司馬遷が、通説に逆らって、論じた、この篇の結びです。司馬遷は、(滅んだ)魏の、旧都・大梁の、廃墟を、実際に、訪れました。そして、そこで、地元の人々から、(秦が、黄河の水を引き込んで、大梁を水攻めにし、三月で城壁が崩れ、魏王が降伏して、魏が滅びた、という、)その最期の様子を、聞き取ります。そのうえで、司馬遷は、世間に広まっていた、一つの「通説」に、言及します。「(魏の滅亡について、)世の論者たちは、皆、口を揃えて、こう言う。『魏が滅んだのは、(あの、稀代の賢者であった)信陵君を、(王が、疑って、)用いなかったからだ。それゆえ、国は、次第に、削られ、弱り、ついに、滅亡に至ったのだ』と」。(確かに、信陵君は、魏の最後の希望であり、彼が用いられなかったことは、大きな痛手でした。)ところが——司馬遷は、この、もっともらしい通説に、真っ向から、異を唱えます。「しかし、私は、(それだけが原因だとは、)そうは、思わない(余以為不然)」と。そして、より、大きな視座から、こう論じました。「(あの時代、)天は、まさに、秦に、天下を統一させようと、していたのだ。(そして、)その、(統一という)大事業は、まだ、成し遂げられて、いなかった。(つまり、時代の大きな流れが、秦の統一へと、向かっていた。)——そのような、(抗いがたい、時勢の)中にあっては、たとえ、魏が、(殷の名宰相・)阿衡(伊尹)のような、(史上最高の)名補佐役を、得ていたとしても——いったい、何の、役に立ったであろうか(曷益乎)」と。個人の才能では、いかんともしがたい、時代の、大きなうねりが、あったのだ、というのです。ここに、原因の見方についての教訓があります。第一に、物事の失敗や、衰亡の原因を——「あの一人を、用いなかったから」「あの一つの判断を、誤ったから」と、たった一つの原因に、すべてを、帰してしまう、単純な見方の、危うさ。司馬遷は、この、分かりやすい通説を、退けた。第二に、個人の努力や、才能では、どうにも、抗いがたい、「時勢」という、大きな流れが、存在するということ。すべてを、個人の責任に、帰することは、(酷であるだけでなく、)事実を、見誤らせる。第三に、ただし——これは、「時勢だから、仕方ない」と、努力を、放棄せよ、という意味ではなく、あくまで、原因を、多角的に、冷静に、見極めよ、という、司馬遷の、歴史家としての、誠実さの、表れです。組織や人生で、失敗や衰亡の原因をたった一つに帰する単純な見方の危うさを知ること、個人の才能では抗いがたい時勢という大きな流れの存在を認めること、そして原因を多角的に冷静に見極める誠実さを持つこと——司馬遷の魏評は、単純な原因論を退ける、深い眼を教えます。

解説

あなたは、物事の失敗や不振の原因を、「あの人が悪かった」「あの一つの判断を誤った」と、たった一つの原因に、すべてを帰してしまう、単純な見方に陥っていないでしょうか?個人の努力や才能では、どうにも抗いがたい「時勢」という大きな流れが存在することを、認められていますか——すべてを個人の責任に帰することが、酷であるだけでなく、事実を見誤らせると、理解していますか?一方で、「時勢だから仕方ない」と努力を放棄するのではなく、原因を多角的に、冷静に見極める誠実さを、持てていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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