史記 / 趙世家
及趙武冠,爲成人,程嬰乃辭諸大夫,謂趙武曰:「昔下宮之難,皆能死。我非不能死,我思立趙氏之後。今趙武旣立,爲成人,復故位,我將下報趙宣孟與公孫杵臼。」趙武啼泣頓首固請,曰:「武願苦筋骨以報子至死,而子忍去我死乎!」程嬰曰:「不可。彼以我爲能成事,故先我死;今我不報,是以我事爲不成。」遂自殺。
新字:及趙武冠,為成人,程嬰乃辞諸大夫,謂趙武曰:「昔下宮之難,皆能死。我非不能死,我思立趙氏之後。今趙武既立,為成人,復故位,我将下報趙宣孟与公孫杵臼。」趙武啼泣頓首固請,曰:「武願苦筋骨以報子至死,而子忍去我死乎!」程嬰曰:「不可。彼以我為能成事,故先我死;今我不報,是以我事為不成。」遂自殺。
書き下し
趙武の冠して、成人と為るに及び、程嬰乃ち諸大夫に辞し、趙武に謂ひて曰く、「昔下宮の難、皆能く死せり。我死する能はざるに非ず、我趙氏の後を立てんことを思へばなり。今趙武既に立ち、成人と為り、故位に復す。我将に下りて趙宣孟と公孫杵臼とに報ぜんとす」と。趙武啼泣頓首して固く請ふ。程嬰曰く、「不可なり。彼我を以て能く事を成すと為す、故に我に先んじて死せり。今我報ぜずんば、是れ我が事を以て成らずと為すなり」と。遂に自殺す。
現代語訳
趙武が元服して成人になると、程嬰は大夫たちに暇を告げ、趙武に言った。「昔、下宮の難のとき、皆は死んで果てた。私が死ねなかったのではない。私は趙氏の跡継ぎを立てることを考えていたのだ。今、趙武はすでに立てられ、成人となり、もとの地位に復した。私はこれから地下へ行き、趙宣孟と公孫杵臼に報告しよう」。趙武は泣いて頭を地につけ、固く思いとどまるよう願った。程嬰は言った。「いけない。彼は私なら事を成し遂げられると信じて、私に先んじて死んだ。今、私が報告に行かなければ、私が事を成し遂げられなかったと思わせることになる」。そして自殺した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新序』節士第七趙武冠して成人と爲る。程嬰乃ち大夫を辭し、趙武に謂いて曰く、昔下宮の難、皆な能く死せり。我死する能わざるに非ず。趙氏の後を立てんことを思えばなり。今子既に立ちて成人と爲り、趙宗故に復す。我將に下りて趙孟と公孫杵臼とに報ぜんとす、と。趙武號泣し、固く請いて曰く、武願わくは筋骨を苦しめて以て子に報い死に至らん。而るに子我を棄てて死するに忍びんや、と。程嬰曰く、不可なり。彼れ我を以て能く事を成すと爲すが故に、皆な我に先んじて死せり。今我下りて之に報ぜずんば、是れ我が事を以て成らずと爲すなり、と。遂に自殺す。趙武衰を服すること三年。祭邑を爲り、春秋に之を祠り、世ミ絶えず。君子曰く、程嬰・公孫杵臼は、交わりに信あり厚き士と謂う可し。嬰の自殺して下に報ずるは亦た過ぎたり、と。
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『智囊』權奇・王導・程嬰請う、これを活かせ。独り杵臼を殺すは可なり」と。諸将許さず、遂に杵臼と孤児を殺す。諸将、趙氏の孤児は良に已に死せりと以為い、皆喜ぶ。然れども趙氏の真の孤は乃ち反って在り。程嬰、卒に与に倶に山中に匿る。居ること十五年、晋の景公疾あり、これを卜うに、「大業の後の遂げざる者、祟りを為す」と。景公、韓厥に問う。厥、趙の孤の在るを知り、乃ち趙氏を以て対う。景公問う、「趙に尚お後の子孫有るか」と。厥、具に実を以て告ぐ。是に於て景公、乃ち韓厥と謀りて趙の孤児を立て、召してこれを宮中に匿す。諸将入りて疾を問う。景公、韓厥の衆に因りて以て諸将を脅し、趙の孤を見す。趙の孤、名を武と曰う。諸将已むを得ず、皆罪を屠岸賈に委ぬ。是に於て武、嬰、遍く諸将に拝し、相与に岸賈を攻めてその族を滅ぼす。復た趙武に田邑を与うること故の如し。武既に冠して成人するに及び、嬰曰く、「吾将に下りて公孫杵臼に報ぜん」と。遂に自殺す。〔評述〕趙氏は人を知り、能く死士の力を得たり。蹷きて復た起ち、卒に晋国を有つ所以なり。後世の縉紳の門下は、利を以て投ぜざれば、則ち諛を以て合す。一旦事有らば、孰か嬰、杵と為らん。
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史記 趙世家程嬰公孫杵臼に謂ひて曰く、「今一たび索めて得ず、後必ず且に復た之を索めんとす、柰何」と。公孫杵臼曰く、「孤を立つると死すると孰れか難き」と。程嬰曰く、「死は易く、孤を立つるは難きのみ」と。公孫杵臼曰く、「趙氏の先君子に遇すること厚し、子彊ひて其の難き者を為せ、吾其の易き者を為さん、請ふ先づ死せん」と。
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史記 趙世家乃ち二人謀りて他人の嬰児を取りて之を負ひ、衣するに文葆を以てし、山中に匿す。程嬰出で、謬りて諸将軍に謂ひて曰く、「嬰不肖にして、趙の孤を立つること能はず。誰か能く我に千金を与へん、吾趙氏の孤の処を告げん」と。諸将皆喜び、之を許し、師を発して程嬰に随ひて公孫杵臼を攻む。杵臼謬りて曰く、「小人なるかな程嬰。昔下宮の難に死すること能はず、我と謀りて趙氏の孤児を匿す。今又我を売る。縦ひ立つること能はずとも、而も之を売るに忍びんや」と。児を抱きて呼びて曰く、「天か天か。趙氏の孤児何の罪かある。請ふ之を活かせ。独り杵臼を殺さば可なり」と。諸将許さず、遂に杵臼と孤児とを殺す。諸将以為へらく趙氏の孤児良に已に死せりと。皆喜ぶ。然れども趙氏の真の孤は乃ち反りて在り。程嬰卒に与に倶に山中に匿る。居ること十五年、晋の景公疾む。之を卜す。大業の後の遂げざる者祟りを為す。景公韓厥に問ふ。厥、趙の孤の在るを知る。乃ち曰く、「大業の後の晋に在りて祀を絶つ者は、其れ趙氏か。夫れ中衍よりの者は皆嬴姓なり。中衍は人面鳥噣、降りて殷の帝大戊を佐け、周の天子に及ぶまで、皆明徳有り。下りて幽・厲の無道に及び、而して叔帯周を去りて晋に適き、先君文侯に事へ、成公に至るまで、世々功を立つる有り、未だ嘗て祀を絶たず。今吾が君独り趙の宗を滅ぼす。国人之を哀しむ。故に亀策に見はる。唯だ君之を図れ」と。景公問ふ、「趙尚ほ後の子孫有りや」と。韓厥具に実を以て告ぐ。是に於て景公乃ち韓厥と趙の孤児を立てんことを謀り、召して之を宮中に匿す。諸将入りて疾を問ふ。景公、韓厥の衆に因りて以て諸将を脅かして趙の孤を見えしむ。趙の孤、名を武と曰ふ。諸将已むを得ず、乃ち曰く、「昔下宮の難は、屠岸賈之を為し、君命を矯りて、并せて群臣に命ず。然るに非ずんば、孰か敢へて難を作さん。君の疾微かりせば、群臣固より且に趙の後を立てんことを請はんとす。今君命有り、群臣の願ひなり」と。是に於て趙武・程嬰を召して遍く諸将を拝せしめ、遂に反りて程嬰・趙武と屠岸賈を攻め、其の族を滅ぼす。復た趙武に田邑を与ふること故の如し。
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『智囊』權奇・王導・程嬰屠岸賈、趙氏を下宮に攻め、趙朔、趙同、趙括、趙嬰斉を殺し、皆その族を滅ぼす。趙朔の妻は成公の姉にして、遺腹有り、走りて公宮に匿る。趙朔の客を公孫杵臼と曰う。杵臼、朔の友人程嬰に謂いて曰く、「胡ぞ死なざる」と。程嬰曰く、「朔の婦に遺腹有り。若し幸いにして男を生まば、吾これを奉ぜん。即ち女ならば、吾徐ろに死なんのみ」と。居ること何ほども無くして、朔の婦身を娩し男を生む。屠岸賈これを聞き、宮中に索む。夫人、児を褲の中に置き、祝して曰く、「趙宗滅びんか、若号け。即ち滅びずんば、若声無かれ」と。児を索むるに及び、竟に声無く、已にして脱す。程嬰、公孫杵臼に謂いて曰く、「今一たび索めて得ず。後必ずまた索めん。奈何せん」と。公孫杵臼曰く、「孤を立つると死とは孰れか難き」と。程嬰曰く、「死は易く、孤を立つるは難きのみ」と。公孫杵臼曰く、「趙氏の先君、子を遇すること厚し。子強いてその難き者を為せ。吾はその易き者を為さん。請う、先ず死せん」と。乃ち謀りて他人の嬰児を取りてこれを負い、衣するに文葆を以てし、山中に匿す。程嬰出で、謬りて諸将軍に謂いて曰く、「嬰不肖にして、趙の孤を立つる能わず。誰か能く我に千金を与えん。我、趙氏の孤の処を告げん」と。諸将軍皆喜びてこれを許す。師を発して程嬰に随い公孫杵臼を攻む。杵臼謬りて曰く、「小人なるかな程嬰。昔下宮の難に死する能わず、我と謀りて趙氏の孤児を匿しながら、今また我を売る。縦い立つる能わずとも、忍びてこれを売るか」と。児を抱きて呼びて曰く、「天か、天か。趙氏の孤児、何の罪かある。
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『新序』節士第七已に脱す。程嬰杵臼に謂いて曰く、今一たび索めて得ず。後必ず且つ之を復せん。奈何、と。杵臼曰く、孤を立つると死すると、孰れか難き、と。嬰曰く、孤を立つるは亦た難きのみ、と。杵臼曰く、趙氏の先君子を遇すること厚し。子强いて其の難き者を爲せ。吾其の易き者を爲さん。吾請う先ず死せん、と。而して二人謀りて他の嬰兒を取り、負うに文褓を以てして山中に匿す。嬰諸將に謂いて曰く、嬰不肖なり。孤を立つる能わず。誰か能く吾に千金を與えん。吾趙氏の孤の處を吿げん、と。諸將皆な喜び、之を許す。師を發して嬰に隨いて杵臼を攻む。杵臼曰く、小人なるかな程嬰。下宮の難に死する能わず、我と趙氏の孤兒を匿すを謀り、今又た之を賣る。縱い孤兒を立つる能わずとも、之を賣るに忍びんや、と。抱きて天に呼ばく、趙氏の孤兒何の罪かある。請う之を活かせ。獨り杵臼を殺せ、と。諸將許さず。遂に杵臼と兒とを并せ殺す。
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