史記 / 趙世家
已脱,程嬰謂公孫杵臼曰:「今一索不得,後必且復索之,柰何?」公孫杵臼曰:「立孤與死孰難?」程嬰曰:「死易,立孤難耳。」公孫杵臼曰:「趙氏先君遇子厚,子彊爲其難者,吾爲其易者,請先死。
新字:已脱,程嬰謂公孫杵臼曰:「今一索不得,後必且復索之,柰何?」公孫杵臼曰:「立孤与死孰難?」程嬰曰:「死易,立孤難耳。」公孫杵臼曰:「趙氏先君遇子厚,子彊為其難者,吾為其易者,請先死。
書き下し
程嬰公孫杵臼に謂ひて曰く、「今一たび索めて得ず、後必ず且に復た之を索めんとす、柰何」と。公孫杵臼曰く、「孤を立つると死すると孰れか難き」と。程嬰曰く、「死は易く、孤を立つるは難きのみ」と。公孫杵臼曰く、「趙氏の先君子に遇すること厚し、子彊ひて其の難き者を為せ、吾其の易き者を為さん、請ふ先づ死せん」と。
現代語訳
程嬰は公孫杵臼に言った。「今度は捜索されて見つからなかったが、後で必ずまた捜すだろう。どうする」。公孫杵臼は言った。「遺児を立てることと、死ぬことと、どちらが難しいか」。程嬰は言った。「死ぬのは易しい。遺児を立てるほうが難しい」。公孫杵臼は言った。「趙氏の先君はあなたを厚く遇された。あなたは無理をしてでも難しいほうを引き受けてくれ。私は易しいほうをやろう。どうか私が先に死なせてもらいたい」。
解説
「死ぬことは易しい。生きて、責務を果たし続けることこそが、難しい」——「趙氏孤児」の物語で、二人の義士が交わした、重い問答です。晋の名門・趙氏が、権臣・屠岸賈によって、一族皆殺しにされたとき、生まれたばかりの、ただ一人の遺児(趙武)が、辛うじて、匿われていました。趙氏の食客であった公孫杵臼と、趙氏の友人であった程嬰の、二人は、この、最後の遺児を、なんとしても、守り抜こうと、決意します。しかし、追手の探索は、執拗でした。程嬰が、言います。「今回は、一度、探索を、逃れることが、できた。しかし、(敵は、)必ず、また、探しに来るだろう。(この幼子を、)どうすれば、よいか」と。すると、公孫杵臼は、程嬰に、一つの、重い問いを、投げかけました。「この遺児を、(守り育てて、)一人前に立てることと——(今、ここで、主君のために、)死ぬことと。この二つでは、(いったい、)どちらが、難しいだろうか(立孤與死孰難)」と。程嬰の答えは、明快でした。「死ぬことは、(一瞬で終わるのだから、)易しい。(生きて、長い年月、敵の目を欺き、遺児を、守り育てて、)一人前に立てることこそが——難しいのです(死易、立孤難耳)」と。それを聞いた公孫杵臼は、静かに、こう言いました。「趙氏の亡き主君は、あなたを、(私よりも、)厚く、遇してくださった。だから——あなたは、(その恩に報いるために、)どうか、その、難しいほうの役目(遺児を育てること)を、引き受けてください。私は、(その代わり、)易しいほうの役目(死ぬこと)を、引き受けましょう。どうか、私に、先に、死なせてください(子彊為其難者、吾為其易者、請先死)」と。そして、公孫杵臼は、(身代わりの計略のために、)自ら、進んで、殺されていったのです。ここに、責務と覚悟についての教訓があります。第一に、「死ぬこと(一時の、劇的な自己犠牲)」よりも、「生きて、長い年月、地道に、責務を果たし続けること」のほうが、はるかに、難しい、ということ(死易、立孤難耳)。一瞬の勇気や、劇的な犠牲は、(ある意味で、)易しい。本当に難しいのは、日々の、地味で、報われず、終わりの見えない努力を、years にわたって、続けることである。第二に、そして、二人は、その「難しいほう」と「易しいほう」を、正直に見極めた上で、(互いに、押しつけ合うのではなく、)それぞれが、担うべき役目を、引き受けた。第三に、真の覚悟とは、劇的に死ぬことではなく、(誰にも褒められずとも、)生きて、責務を、果たし抜くことにあるということ。組織や人生で、一瞬の劇的な犠牲より生きて長く地道に責務を果たし続けることのほうが難しいと知ること、その難しい役目を見極めて引き受ける覚悟を持つこと、そして真の覚悟が劇的な行為でなく責務を果たし抜くことにあると理解すること——「立孤と死と孰れか難き」の問答は、生きて責務を果たすことの重さを教えます。
この章句が説くこと
趙氏孤児程嬰と公孫杵臼立孤与死孰難死易立孤難劇的な犠牲より地道に責務を果たすことが難しい難しい役目を引き受ける覚悟
関連する章句
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『智囊』權奇・王導・程嬰屠岸賈、趙氏を下宮に攻め、趙朔、趙同、趙括、趙嬰斉を殺し、皆その族を滅ぼす。趙朔の妻は成公の姉にして、遺腹有り、走りて公宮に匿る。趙朔の客を公孫杵臼と曰う。杵臼、朔の友人程嬰に謂いて曰く、「胡ぞ死なざる」と。程嬰曰く、「朔の婦に遺腹有り。若し幸いにして男を生まば、吾これを奉ぜん。即ち女ならば、吾徐ろに死なんのみ」と。居ること何ほども無くして、朔の婦身を娩し男を生む。屠岸賈これを聞き、宮中に索む。夫人、児を褲の中に置き、祝して曰く、「趙宗滅びんか、若号け。即ち滅びずんば、若声無かれ」と。児を索むるに及び、竟に声無く、已にして脱す。程嬰、公孫杵臼に謂いて曰く、「今一たび索めて得ず。後必ずまた索めん。奈何せん」と。公孫杵臼曰く、「孤を立つると死とは孰れか難き」と。程嬰曰く、「死は易く、孤を立つるは難きのみ」と。公孫杵臼曰く、「趙氏の先君、子を遇すること厚し。子強いてその難き者を為せ。吾はその易き者を為さん。請う、先ず死せん」と。乃ち謀りて他人の嬰児を取りてこれを負い、衣するに文葆を以てし、山中に匿す。程嬰出で、謬りて諸将軍に謂いて曰く、「嬰不肖にして、趙の孤を立つる能わず。誰か能く我に千金を与えん。我、趙氏の孤の処を告げん」と。諸将軍皆喜びてこれを許す。師を発して程嬰に随い公孫杵臼を攻む。杵臼謬りて曰く、「小人なるかな程嬰。昔下宮の難に死する能わず、我と謀りて趙氏の孤児を匿しながら、今また我を売る。縦い立つる能わずとも、忍びてこれを売るか」と。児を抱きて呼びて曰く、「天か、天か。趙氏の孤児、何の罪かある。
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史記 趙世家趙武の冠して、成人と為るに及び、程嬰乃ち諸大夫に辞し、趙武に謂ひて曰く、「昔下宮の難、皆能く死せり。我死する能はざるに非ず、我趙氏の後を立てんことを思へばなり。今趙武既に立ち、成人と為り、故位に復す。我将に下りて趙宣孟と公孫杵臼とに報ぜんとす」と。趙武啼泣頓首して固く請ふ。程嬰曰く、「不可なり。彼我を以て能く事を成すと為す、故に我に先んじて死せり。今我報ぜずんば、是れ我が事を以て成らずと為すなり」と。遂に自殺す。
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『新序』節士第七已に脱す。程嬰杵臼に謂いて曰く、今一たび索めて得ず。後必ず且つ之を復せん。奈何、と。杵臼曰く、孤を立つると死すると、孰れか難き、と。嬰曰く、孤を立つるは亦た難きのみ、と。杵臼曰く、趙氏の先君子を遇すること厚し。子强いて其の難き者を爲せ。吾其の易き者を爲さん。吾請う先ず死せん、と。而して二人謀りて他の嬰兒を取り、負うに文褓を以てして山中に匿す。嬰諸將に謂いて曰く、嬰不肖なり。孤を立つる能わず。誰か能く吾に千金を與えん。吾趙氏の孤の處を吿げん、と。諸將皆な喜び、之を許す。師を發して嬰に隨いて杵臼を攻む。杵臼曰く、小人なるかな程嬰。下宮の難に死する能わず、我と趙氏の孤兒を匿すを謀り、今又た之を賣る。縱い孤兒を立つる能わずとも、之を賣るに忍びんや、と。抱きて天に呼ばく、趙氏の孤兒何の罪かある。請う之を活かせ。獨り杵臼を殺せ、と。諸將許さず。遂に杵臼と兒とを并せ殺す。
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『智囊』權奇・王導・程嬰請う、これを活かせ。独り杵臼を殺すは可なり」と。諸将許さず、遂に杵臼と孤児を殺す。諸将、趙氏の孤児は良に已に死せりと以為い、皆喜ぶ。然れども趙氏の真の孤は乃ち反って在り。程嬰、卒に与に倶に山中に匿る。居ること十五年、晋の景公疾あり、これを卜うに、「大業の後の遂げざる者、祟りを為す」と。景公、韓厥に問う。厥、趙の孤の在るを知り、乃ち趙氏を以て対う。景公問う、「趙に尚お後の子孫有るか」と。厥、具に実を以て告ぐ。是に於て景公、乃ち韓厥と謀りて趙の孤児を立て、召してこれを宮中に匿す。諸将入りて疾を問う。景公、韓厥の衆に因りて以て諸将を脅し、趙の孤を見す。趙の孤、名を武と曰う。諸将已むを得ず、皆罪を屠岸賈に委ぬ。是に於て武、嬰、遍く諸将に拝し、相与に岸賈を攻めてその族を滅ぼす。復た趙武に田邑を与うること故の如し。武既に冠して成人するに及び、嬰曰く、「吾将に下りて公孫杵臼に報ぜん」と。遂に自殺す。〔評述〕趙氏は人を知り、能く死士の力を得たり。蹷きて復た起ち、卒に晋国を有つ所以なり。後世の縉紳の門下は、利を以て投ぜざれば、則ち諛を以て合す。一旦事有らば、孰か嬰、杵と為らん。
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史記 趙世家乃ち二人謀りて他人の嬰児を取りて之を負ひ、衣するに文葆を以てし、山中に匿す。程嬰出で、謬りて諸将軍に謂ひて曰く、「嬰不肖にして、趙の孤を立つること能はず。誰か能く我に千金を与へん、吾趙氏の孤の処を告げん」と。諸将皆喜び、之を許し、師を発して程嬰に随ひて公孫杵臼を攻む。杵臼謬りて曰く、「小人なるかな程嬰。昔下宮の難に死すること能はず、我と謀りて趙氏の孤児を匿す。今又我を売る。縦ひ立つること能はずとも、而も之を売るに忍びんや」と。児を抱きて呼びて曰く、「天か天か。趙氏の孤児何の罪かある。請ふ之を活かせ。独り杵臼を殺さば可なり」と。諸将許さず、遂に杵臼と孤児とを殺す。諸将以為へらく趙氏の孤児良に已に死せりと。皆喜ぶ。然れども趙氏の真の孤は乃ち反りて在り。程嬰卒に与に倶に山中に匿る。居ること十五年、晋の景公疾む。之を卜す。大業の後の遂げざる者祟りを為す。景公韓厥に問ふ。厥、趙の孤の在るを知る。乃ち曰く、「大業の後の晋に在りて祀を絶つ者は、其れ趙氏か。夫れ中衍よりの者は皆嬴姓なり。中衍は人面鳥噣、降りて殷の帝大戊を佐け、周の天子に及ぶまで、皆明徳有り。下りて幽・厲の無道に及び、而して叔帯周を去りて晋に適き、先君文侯に事へ、成公に至るまで、世々功を立つる有り、未だ嘗て祀を絶たず。今吾が君独り趙の宗を滅ぼす。国人之を哀しむ。故に亀策に見はる。唯だ君之を図れ」と。景公問ふ、「趙尚ほ後の子孫有りや」と。韓厥具に実を以て告ぐ。是に於て景公乃ち韓厥と趙の孤児を立てんことを謀り、召して之を宮中に匿す。諸将入りて疾を問ふ。景公、韓厥の衆に因りて以て諸将を脅かして趙の孤を見えしむ。趙の孤、名を武と曰ふ。諸将已むを得ず、乃ち曰く、「昔下宮の難は、屠岸賈之を為し、君命を矯りて、并せて群臣に命ず。然るに非ずんば、孰か敢へて難を作さん。君の疾微かりせば、群臣固より且に趙の後を立てんことを請はんとす。今君命有り、群臣の願ひなり」と。是に於て趙武・程嬰を召して遍く諸将を拝せしめ、遂に反りて程嬰・趙武と屠岸賈を攻め、其の族を滅ぼす。復た趙武に田邑を与ふること故の如し。
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『新序』節士第七趙武冠して成人と爲る。程嬰乃ち大夫を辭し、趙武に謂いて曰く、昔下宮の難、皆な能く死せり。我死する能わざるに非ず。趙氏の後を立てんことを思えばなり。今子既に立ちて成人と爲り、趙宗故に復す。我將に下りて趙孟と公孫杵臼とに報ぜんとす、と。趙武號泣し、固く請いて曰く、武願わくは筋骨を苦しめて以て子に報い死に至らん。而るに子我を棄てて死するに忍びんや、と。程嬰曰く、不可なり。彼れ我を以て能く事を成すと爲すが故に、皆な我に先んじて死せり。今我下りて之に報ぜずんば、是れ我が事を以て成らずと爲すなり、と。遂に自殺す。趙武衰を服すること三年。祭邑を爲り、春秋に之を祠り、世ミ絶えず。君子曰く、程嬰・公孫杵臼は、交わりに信あり厚き士と謂う可し。嬰の自殺して下に報ずるは亦た過ぎたり、と。
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