史記 / 晋世家
其母曰:「盍亦求之,以死誰懟?」推曰:「尤而效之,罪有甚焉。且出怨言,不食其祿。」母曰:「亦使知之,若何?」對曰:「言,身之文也;身欲隱,安用文之?文之,是求顯也。」其母曰:「能如此乎?與女偕隱。」至死不復見。
新字:其母曰:「盍亦求之,以死誰懟?」推曰:「尤而効之,罪有甚焉。且出怨言,不食其禄。」母曰:「亦使知之,若何?」対曰:「言,身之文也;身欲隠,安用文之?文之,是求顕也。」其母曰:「能如此乎?与女偕隠。」至死不復見。
書き下し
其の母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる。以て死すとも誰をか懟(うら)みん」と。推曰く、「尤めて之に効ふは、罪焉より甚だしき有り。且つ怨言を出だせり。其の禄を食まず」と。母曰く、「亦た之を知らしめば、若何」と。対へて曰く、「言は、身の文なり。身隠れんと欲す。安んぞ之を文るを用ひん。之を文るは、是れ顕はるるを求むるなり」と。其の母曰く、「能く此の如くならんか。女と偕に隠れん」と。死に至るまで復た見えず。
現代語訳
介子推の母は言った。「おまえもどうして恩賞を求めないのか。このまま死んだところで、誰を恨むことができよう」。介子推は言った。「人を非難しておきながら自分も同じことをするのは、罪としてさらに重い。それに私はすでに(天の功を盗む者たちへの)不満を口にしてしまった。その禄を受けるわけにはいかない」。母は言った。「せめて君にこのことを知っていただいたらどうか」。介子推は答えた。「言葉とは、身を飾るものだ。身を隠そうとしているのに、どうして飾る必要があろう。飾るのは、世に出たいと望むことだ」。母は言った。「おまえは本当にそうできるのか。それなら私もおまえと一緒に隠れよう」。こうして二人は死ぬまで再び世に姿を現さなかった。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』飭令第五十三民に餘食有れば、粟を以て爵を出ださしむ、必ず其の力を以てすれば、則ち農怠らず。三寸の管も當毋ければ、滿たすべからざるなり。官爵を授け、利禄を出だすに功を以てせざるは、是れ當無きなり。國功を以て官と爵とを授くる、此れを以て智謀を成し、威勇を以て戰ふと謂ふ、其の國敵無し。國功を以て官と爵とを授くれば、則ち治むる者省かれ、言塞がる有り、此れを治を以て治を去り、言を以て言を去り、功を以て爵を與ふる者と謂ふなり。故に國力多くして、天下之を能く侵す莫きなり。兵出づれば必ず取り、取れば必ず能く之を有ち、兵を案じて攻めざれば必ず富む。朝廷の事、小なる者も毁たず、功を效して官爵を取れば、廷に辟言有りと雖も、以て相干すを得ざるなり、是れを數を以て治むと謂ふ。力を以て攻むる者は、一を出だして十を取り、言を以て攻むる者は、十を出だして百を喪ふ。國力を好む、此れを難を以て攻むと謂ふ。國言を好む、此れを易を以て攻むと謂ふ。
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史記 李斯列伝趙高斯を治め、榜掠すること千余、痛みに勝へず、自ら誣服す。斯の死せざる所以の者は、自ら其の弁を負み、功有り、実に反心無く、幸ひに書を上りて自ら陳ぶるを得て、二世の寤めて之を赦さんことを幸ひとすればなり。李斯乃ち獄中より書を上りて曰く、「臣丞相と為りて民を治むること、三十余年なり。秦の地の狭隘なるに逮ぶ。先王の時秦の地は千里に過ぎず、兵は数十万。臣薄材を尽くし、謹んで法令を奉じ、陰かに謀臣を行らしめ、之に金玉を資し、諸侯に游説せしめ、陰かに甲兵を修め、政教を飾り、闘士を官にし、功臣を尊び、其の爵禄を盛んにす。故に終に以て韓を脅かし魏を弱め、燕・趙を破り、斉・楚を夷げ、卒に六国を兼ね、其の王を虜にし、秦を立てて天子と為す。罪の一なり。地広からざるに非ざるも、又北のかた胡・貉を逐ひ、南のかた百越を定め、以て秦の彊を見す。罪の二なり。大臣を尊び、其の爵位を盛んにし、以て其の親を固くす。罪の三なり。社稷を立て、宗廟を修め、以て主の賢を明らかにす。罪の四なり。剋画を更め、斗斛度量文章を平らかにし、之を天下に布き、以て秦の名を樹つ。罪の五なり。馳道を治め、游観を興し、以て主の意を得たるを見す。罪の六なり。刑罰を緩め、賦斂を薄くし、以て主の衆を得るの心を遂げ、万民主を戴き、死すとも忘れず。罪の七なり。斯の若き臣為る者は、罪死するに足ること固より久し。上幸ひに其の能力を尽くさしめ、乃ち今に至るを得たり。願はくは陛下之を察せよ」と。書上る。趙高吏をして棄て去りて奏せざらしめて曰く、「囚安くんぞ書を上るを得ん」と。
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史記 傅靳蒯成列伝陽陵侯傅寛は、魏の五大夫の騎将を以て従ひ、舎人と為り、横陽に起つ。従ひて安陽・杠里を攻め、趙賁の軍を開封に撃ち、及び楊熊を曲遇・陽武に撃ち、首を斬ること十二級、爵卿を賜はる。従ひて霸上に至る。沛公立ちて漢王と為るや、漢王寛に封号共徳君を賜ふ。従ひて漢中に入り、遷りて右騎将と為る。従ひて三秦を定め、食邑雕陰を賜はる。従ひて項籍を撃ち、懐に待ち、爵通徳侯を賜はる。従ひて項冠・周蘭・龍且を撃ち、将ゐる所の卒騎将一人を敖下に斬り、食邑を益す。淮陰に属し、斉の歴下の軍を撃破し、田解を撃つ。相国参に属し、博を残し、食邑を益す。因りて斉の地を定め、符を剖きて世世絶ゆること勿からしめ、封ぜられて陽陵侯と為る、二千六百戸、前に食む所を除く。斉の右丞相と為り、斉に備ふ。五歳にして斉の相国と為る。四月、陳豨を撃ち、太尉勃に属し、相国を以て丞相噲に代はりて豨を撃つ。一月、徙りて代の相国と為り、屯を将ゐる。二歳にして、代の丞相と為り、屯を将ゐる。孝恵の五年卒し、謚して景侯と為す。子頃侯精立ち、二十四年にして卒す。子共侯則立ち、十二年にして卒す。子侯偃立ち、三十一年、淮南王と謀反するに坐して死し、国除かる。信武侯靳歙(きんきゅう)は、中涓を以て従ひ、宛朐に起つ。済陽を攻む。李由の軍を破る。秦の軍を亳の南・開封の東北に撃ち、騎の千人将一人を斬り、首五十七級、捕虜七十三人、爵封号臨平君を賜はる。又藍田の北に戦ひ、車司馬二人・騎長一人を斬り、首二十八級、捕虜五十七人。霸上に至る。沛公立ちて漢王と為るや、歙に爵建武侯を賜ひ、遷りて騎都尉と為す。従ひて三秦を定む。別れて西のかた章平の軍を隴西に撃ち、之を破り、隴西の六県を定め、将ゐる所の卒車司馬・
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史記 傅靳蒯成列伝凡そ首を斬ること九十級、虜百三十二人。別れて軍を破ること十四、城を降すこと五十九、郡・国を定むること各一、県二十三。王・柱国各一人、二千石以下五百石に至るまで三十九人を得たり。高后の五年、歙卒し、謚して粛侯と為す。子亭代はりて侯たり。二十一年、国人を事とすること律を過ぐるに坐し、孝文の後三年、侯を奪はれ、国除かる。
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『春秋左氏伝』成公二年 功を帥に譲る鄭に及び、介をして幣を反さしめ、而して夏姬を以て行く。將に齊に奔らんとす。齊師新たに敗る。曰く、「吾勝たざるの國に處らず」と。遂に晉に奔りて、郤至に因りて、以て晉に臣たり。晉人邢の大夫と為す。子反重幣を以て之を錮がんと請ふ。王曰く、「止めよ。其の自ら為に謀るや則ち過てり。其の吾が先君の為に謀るや則ち忠なり。忠は社稷の固めなり。蓋ふ所多し。且つ彼若し能く國家を利せば、重幣と雖も、晉將に可とせんや。若し晉に益無くんば、晉將に之を棄てん。何ぞ錮ぐを勞せん」と。晉の師歸る。范文子後れて入る。武子曰く、「吾が爾を望むを為すこと無からんや」と。對へて曰く、「師功有り、國人喜びて以て之を逆ふ。先づ入らば、必ず耳目を屬せん。是れ帥に代りて名を受くるなり。故に敢へてせず」と。武子曰く、「吾免るるを知る」と。郤伯見ゆ。公曰く、「子の力なるかな」と。對へて曰く、「君の訓なり、二三子の力なり。臣何の力か之れ有らん」と。范叔見ゆ。之を勞ふこと郤伯の如し。
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『春秋左氏伝』定公九年 鄧析を殺して竹刑を用ゐる九年春、宋公、樂大心をして晉に盟ひ、且つ樂祁の尸を逆へしめんとす。辭して、偽りて疾有りとす。乃ち向巢をして晉に如きて盟ひ、且つ子梁の尸を逆へしむ。子明、桐門の右師に謂ひて出でしめんとして曰く、「吾は猶ほ衰絰す。而るに子は鍾を擊つ。何ぞや」と。右師曰く、「喪、此に在らざるが故なり」と。既にして人に告げて曰く、「己は衰絰して子を生めり。余何の故に鍾を舍てん」と。子明、之を聞き、怒りて公に言ひて曰く、「右師、將に戴氏に不利ならんとす。肯へて晉に適かざるは、將に亂を作さんとするなり。然らずんば疾無からん」と。乃ち桐門の右師を逐ふ。鄭の駟歂、鄧析を殺して、其の竹刑を用ゐる。君子謂ふ、子然、是に於いて不忠なり、と。苟も以て國家に加ふべき者有らば、其の邪を棄てて可なり。靜女の三章は、彤管を取る。竿旄の「何を以てか之に告げん」は、其の忠を取るなり。故に其の道を用ゐて其の人を棄てず。詩に云ふ、「蔽芾たる甘棠、翦る勿かれ伐る勿かれ、召伯の茇りし所」と。其の人を思へば、猶ほ其の樹を愛す。況んや其の道を用ゐて、其の人を恤まざらんや。子然は以て能を勸むる無し。夏、陽虎、寶玉・大弓を歸す。書して得と曰ふは、器用なればなり。凡そ器用を獲るを得と曰ひ、用を得るを獲と曰ふ。

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