史記 / 魯周公世家
周公戒伯禽曰:『我文王之子,武王之弟,成王之叔父,我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮,一飯三吐哺,起以待士,猶恐失天下之賢人。子之魯,慎無以國驕人。
新字:周公戒伯禽曰:『我文王之子,武王之弟,成王之叔父,我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髪,一飯三吐哺,起以待士,猶恐失天下之賢人。子之魯,慎無以国驕人。
書き下し
周公伯禽を戒めて曰く、「我は文王の子、武王の弟、成王の叔父なり、我天下に於て亦た賤しからず。然れども我一たび沐するに三たび髪を捉り、一たび飯するに三たび哺を吐き、起ちて以て士を待つ、猶ほ天下の賢人を失はんことを恐る。子の魯に之くや、慎みて国を以て人に驕る無かれ」と。
現代語訳
周公は子の伯禽を戒めて言った。「私は文王の子であり、武王の弟であり、成王の叔父である。天下において決して低い身分ではない。それでも私は、一度髪を洗う間に三度も髪を握ったまま立ち上がり、一度食事をする間に三度も口の中の物を吐き出して立ち上がり、士を迎えてきた。それでもなお、天下の賢人を取り逃がすことを恐れている。お前が魯へ行ったら、慎み深くふるまい、国を持ったからといって人に驕ってはならぬ」。
解説
「どれほど高い地位にあっても、人材を迎えるためなら、髪を洗う手も、食事の箸も、途中で止める」——「吐哺握髪」の語源となった、周公の、有名な戒めです。周公旦は、我が子・伯禽が、魯の国に、領主として赴任するにあたり、こう戒めました。まず、自らの、高い立場を、確認します。「私は、(周を興した)文王の子であり、(殷を滅ぼした)武王の弟であり、(今の天子である)成王の叔父である。天下において、私の地位は、けっして、低いものではない」と。天下でも、指折りの、高い地位です。しかし——だからこそ、と、周公は、続けます。「それでも、私は、(優れた人材が、訪ねてきたと聞けば、)髪を洗っている最中でも、(洗いかけの)髪を、手で握ったまま、三度も、(中断して)飛び出して行き(一沐三捉髮)、食事の最中でも、口に含んだ食べ物を、三度も、吐き出して(一飯三吐哺)、(すぐに)立ち上がって、その人材を、迎えたのだ。それほどまでに、(丁重に人材を遇して)なお、私は、天下の賢者を、(取り逃がして)失ってしまうのではないか、と、恐れているのだ(猶恐失天下之賢人)」と。天下有数の高位にありながら、人材を迎えることには、これほど、身を低くして、必死になっていたのです。そして、周公は、我が子への、核心の戒めを、告げます。「お前が、魯の国へ行ったなら——くれぐれも、慎んで、『(自分は、)一国の主だ』などと、(その地位を鼻にかけて、)人に対して、驕り高ぶることが、ないように(慎無以國驕人)」と。ここに、謙虚さと人材についての教訓があります。第一に、どれほど高い地位にあっても、優れた人材を迎えることには、身を低くし、他の何を中断してでも、最優先で、丁重に応じること(一沐三捉髮、一飯三吐哺)。人材は、待っていれば来るものではなく、こちらが、心を尽くして、迎えるもの。第二に、そして、これほど尽くしてなお、「まだ、優れた人を、取り逃がしているのではないか」と、恐れる、その、飽くなき謙虚さ(猶恐失天下之賢人)。人材登用に、「これで十分」は、ない。第三に、地位や立場を、鼻にかけて、人に驕り高ぶらないこと(慎無以國驕人)。高い地位ほど、謙虚でなければ、人は離れていく。組織や経営で、高い地位にあっても人材を迎えることに身を低くし最優先で応じること、これで十分と思わず優れた人を逃していないかと恐れる謙虚さを持つこと、そして地位を鼻にかけて驕り高ぶらないこと——周公の「吐哺握髪」の戒めは、人材を集めるリーダーの謙虚さを教えます。
この章句が説くこと
周公旦吐哺握髪一沐三捉髪一飯三吐哺人材を最優先で迎える身を低くする猶恐失天下之賢人
関連する章句
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『翁問答』下卷之本又周公旦はその御子伯禽魯国の主となりて、はじめて国入したまふ時、周公旦伯禽を戒めて曰く、我は文王の子、武王の弟、成王の叔父なり、我天下に於いて亦賤しからず、然れども我一沐に三たび髪を握り、一飯に三たび哺を吐き、起ちて以て士を待つ、猶ほ天下の賢人を失はんことを恐る、子魯に之かば慎んで国を以て人に驕ること無かれ、この聖戒の心は我親は文王なり、我兄は武王なり、当今の天子はわが甥なり、我位は摂政家宰なり、天下に我をこすべきものなく類すくなき尊位なり、しかれども一たび髪を洗ふうちには、三たびあらひさして髪を握りて目見えにきたる諸士をあいしらひ、一たび飯を食するうちに、三度口にくゝみたる食物をはきいだして、諸士をあいしらひぬれども、なほ天下の諸さふらいにおごりたる無礼のあいしらひありて、賢人のうらみあらん事をおそれつゝしむばかりなり、汝魯国へゆきて国を鼻にあてゝおごり、無礼にして人をあなどりかろしめる事なかれ、我ごとく慎むべしと教へいましめ給ふなり、
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説苑・敬慎昔成王周公を封ずるに、周公辞して受けず。乃ち周公の子伯禽を魯に封ず。将に辞し去らんとするに、周公之を戒めて曰わく、「去れ、子其れ魯国を以て士に驕ること無かれ。我は文王の子なり、武王の弟なり、今王の叔父なり。又天子を相く、吾天下に於ても亦た軽からず。然れども嘗て一沐に三たび髪を握り、一食に三たび哺を吐き、猶お天下の士を失わんことを恐る。吾之を聞く、徳行広大にして守るに恭を以てする者は栄え、土地博裕にして守るに倹を以てする者は安く、禄位尊盛にして守るに卑を以てする者は貴く、人衆兵強くして守るに畏を以てする者は勝ち、聡明睿智にして守るに愚を以てする者は益し、博聞多記にして守るに浅を以てする者は広し。此の六守は、皆謙徳なり。夫れ貴きこと天子と為り、富むこと四海を有つも、謙ならざれば天下に先んじて其の身を亡う、桀紂是れなり。慎まざるべけんや。故に易に曰わく、一道有り、大は以て天下を守るに足り、中は以て国家を守るに足り、小は以て其の身を守るに足る、謙の謂いなり。『夫れ天道は満を毀ちて謙に益し、地道は満を変じて謙に流し、鬼神は満を害して謙に福し、人道は満を悪みて謙を好む』と。是を以て衣成れば衽を欠き、宮成れば隅を欠き、屋成れば錯を加う。不成を示す者は、天道然るなり。易に曰わく、『謙は亨る、君子終わり有りて吉なり』と。詩に曰わく、『湯降ること遅からず、聖敬日に躋る』と。其れ之を戒めよ。子其れ魯国を以て士に驕ること無かれ」と。
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『玉勝間』八の巻 周公旦がくひたる飯を吐出して賢人に逢たりと云へる事又きけば、周公旦と云いける聖人の、子を戒めたる詞に、我一たび沐して三たび髪を握り、一たび飯して三たび哺を吐き、起ちて以て士を待つ、猶天下の賢人を失わんことを恐る、と云えり。もしまことに然したりけむには、是れも世の人にいみじき事に思わせむための、はかりことなり。いかに賢人を思えばとて、口に入たらむ飯を、呑いるるまを、待たぬようやは有べき。出迎えむ道の程にても、呑みいれむ事は、いと易かるべきを、ことさらに吐出して、人に見せたるは、何事ぞや。すべてかの国には、かくさまに、甚しくけやけき振舞いをしたる類いの、何事につけても多きは、みな名をむさぼりたる物にして、例のいとうるさきならいなり。
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荀子・堯問篇伯禽将に魯に帰らんとす。周公、伯禽の傅(ふ)に謂いて曰く、汝将に行かんとす。盍(なん)ぞ而(なんじ)の子の美徳を志(しる)さざる、と。対えて曰く、其の人と為り、寛にして、自ら用うるを好み、以て慎む。此の三つの者、其の美徳なるのみ、と。周公曰く、嗚呼、人の悪を以て美徳と為すか。君子は道徳を好む、故に其の民、道に帰す。彼の其の寛なるや、出でて辨(わきま)え無し。女(なんじ)又た之を美とするか。彼の其の自ら用うるを好むや、是れ窶小(るしょう)なる所以なり。君子は力、牛の如きも、牛と力を争わず。走ること馬の如きも、馬と走るを争わず。知、士の如きも、士と知を争わず。彼の争う者は均しき者の気なり。女又た之を美とするか。彼の其の慎むや、是れ其の浅き所以なり。之を聞く、越踰(えつゆ)して士を見ること無かれ、と。士を見て問いて曰く、乃ち察せざること無からんや、と。聞かざれば即ち物の至ること少なく、至ること少なければ則ち浅し。彼の浅き者は、賤人の道なり。女又た之を美とするか。吾、女に語げん。我は文王の子為(た)り、武王の弟為り、成王の叔父為り。吾、天下に於いて賤しからず。然れども吾が贄(し)を執りて見(まみ)えし者は十人、贄を還して相見えし者は三十人、貌執の士は百有余人、言わんと欲して事を畢(お)えんことを請いし者は千有余人。是に於いて吾僅かに三士を得たり。以て吾が身を正し、以て天下を定む。吾が三士を得し所以の者は、十人と三十人との中に亡(な)くして、乃ち百人と千人との中に在り。故に上士には吾薄く之が貌を為し、下士には吾厚く之が貌を為す。人人皆我を以て越踰して士を好むと為す。然る故に士至る。士至りて而る後に物を見、物を見て然る後に其の是非の在る所を知る。之を戒めよや。女、魯国を以て人に驕らば、幾(あや)うし。夫れ禄を仰ぐの士は猶お驕るべきなり。身を正すの士は驕るべからず。彼の身を正すの士は、貴きを舍(す)てて賤しきを為し、富を舍てて貧を為し、佚(いつ)を舍てて労を為し、顔色黎黒(れいこく)にして其の所を失わず。是を以て天下の紀は息(や)まず、文章は廃せざるなり、と。
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