史記 / 孔子世家
天下君王至於賢人衆矣,當時則榮,沒則已焉。孔子布衣,傳十餘世,學者宗之。自天子王侯,中國言六藝者折中於夫子,可謂至聖矣!
新字:天下君王至於賢人衆矣,当時則栄,没則已焉。孔子布衣,伝十余世,学者宗之。自天子王侯,中国言六芸者折中於夫子,可謂至聖矣!
書き下し
天下の君王より賢人に至るまで衆し、当時は則ち栄え、没すれば則ち已む。孔子は布衣なり、十余世に伝はり、学者之を宗とす。天子王侯より、中国の六芸を言ふ者は夫子に折中す、至聖と謂ふべし。
現代語訳
天下の君主から賢人に至るまで、世に名を知られた人は数多い。しかし生きているときは栄えても、死んでしまえばそれきりである。孔子は無位無官の一庶民であったが、その教えは十余代にわたって伝わり、学者たちは孔子を宗師と仰いでいる。天子や王侯から始まって、中国で六芸(詩・書・礼・楽・易・春秋)を論じる者は、みな孔子を基準にして判断している。至聖と言うべきである。
解説
孔子世家を締めくくる司馬遷の評の結びです。帝王も賢人も、生きている間は栄えても死ねば終わる。ところが孔子は布衣、つまり官位も領地もない一庶民でありながら、十余代を経ても学ぶ者の宗師とされ、天子から王侯まで六芸を論じる者はみな孔子を判断の基準にしている。だから「至聖」と呼ぶべきだ、と司馬遷は結論づけます。諸侯の家系を記す「世家」に、領地を持たなかった孔子をあえて置いた理由が、この一文に凝縮されています。権力や地位は一代で消えますが、人を育て、考え方の基準を残した人の影響は世代を越えて続く。役職や肩書きではなく、何を残したかで人の価値が測られる。自分の仕事が後の人の判断の拠り所になっているかを考えさせる言葉です。
この章句が説くこと
至聖孔子韋編三絶生涯学び続ける影響力仮我数年
関連する章句
-
論語・先進篇子曰く、「由の瑟、奚為れぞ丘の門に於いてせん。」門人子路を敬せず。子曰く、「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり。」
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「聖人は百世の師なり。伯夷・柳下惠是れなり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫も志を立つる有り。柳下惠の風を聞く者は、薄夫も敦く、鄙夫も寬なり。百世の上に奮い、百世の下、聞く者興起せざるは莫きなり。聖人に非ずんば、能く是の若くならんや。而るを況んや之に親炙する者に於いてをや。」 <語釈> ○「頑夫・懦夫」、趙注:頑は、貪なり、懦は、弱なり。○「鄙夫」、趙注:鄙は、狭なり。度量の狭いこと。○「親炙」、親しくその人に接して感化を受けること。親炙に浴するなどと今でも使われるが、その出典がここである。
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「君子の澤は五世にして斬え、小人の澤も五世にして斬ゆ。予未だ孔子の徒為るを得ざるなり。予私かに諸を人に淑くするなり。」
-
孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「詩に曰く、『素餐せず。』君子の耕やさずして食らうは、何ぞや。」孟子曰く、「君子、是の國に居るや、其の君、之を用うれば、則ち安富尊榮に、其の子弟之に從えば、則ち孝弟忠信なり。素餐せざること、孰れか是れより大ならん。」
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「人は與に適むるに足らざるなり。政は間するに足らざるなり。惟だ大人のみ能く君の心の非を格すことを為す。君、仁なれば仁ならざること莫く、君、義なれば義ならざること莫く、君、正しければ正しからざること莫し。一たび君を正しくすれば、國定まる。」
-
『十善法語』巻第五・不綺語戒総シテ王公大人ハ其威名日月ノ如ク。其言行泰山ノ雲ノ如ク。下民仰キ瞻ル。四海則ヲトル所シヤ。ソレ故其過モ日月ノ蝕ノ如ク。万国ノ見テ知トコロシヤ。美玉ノ瑕ノ如ク。好絹ノ汚ノ如ク。掩テ掩ハレヌシヤ。民庶ノ類ハ身微ニ事眇ナル故。戯謔ニ由テ身ヲ亡スニ至ルコト少ク。仮令身ヲ亡シ家ヲ敗ルモ。人ニ知ラレ世ニ数ヘラルルニ至ラヌシヤ。此ニ至テハ君タルコト誠ニ難ト云ヘキシヤ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る