史記 / 孝景本紀
及主父偃言之,而諸侯以弱,卒以安。安危之機,豈不以謀哉?
書き下し
主父偃の之を言ふに及び、而して諸侯以て弱まり、卒に以て安し。安危の機、豈に謀を以てせざらんや。
現代語訳
主父偃がその策(推恩令)を進言するに至って、諸侯はそれによって弱まり、ついに天下は安定した。安危の分かれ目は、まさに謀のいかんにかかっているのではないか。
解説
「同じ目的でも、賢い方法を用いれば、対立を招かずに、穏やかに成し遂げられる」——晁錯の失敗と対照的な、主父偃の成功を描いた、この篇の結びです。前段で見たように、晁錯は、諸侯の勢力を削ろうとして、性急な「削藩」を断行し、七国の乱という、大反乱を招きました。目的は正しかったのに、進め方を誤ったのです。ところが——後に、同じ「諸侯の勢力を弱める」という目的を、まったく違う方法で、みごとに、しかも平穏に、成し遂げた者がいました。主父偃(しゅふえん)です。彼が献策したのは、「推恩の令」——諸侯の領地を、(力ずくで取り上げるのではなく)その諸侯の、すべての子供たちに、分割して相続させる、という策でした。これなら、諸侯自身も、(我が子に領地を分けられるので)表立って反対しにくく、それでいて、代を重ねるごとに、各諸侯の領地は、自然に細分化され、勢力は、おのずと弱まっていきます。司馬遷は記します。「主父偃が、これを進言したことによって、諸侯は、(反乱を起こすこともなく、)自然に弱まっていき、ついに、天下は安泰となった(諸侯以弱、卒以安)」と。晁錯が、力ずくで削って大乱を招いたのに対し、主父偃は、賢い仕組みによって、対立を招かず、穏やかに、同じ目的を達したのです。そして、司馬遷は、この対比から、深い教訓を引き出して、篇を結びます。「安泰となるか、危機に陥るかの、分かれ目(安危の機)は、まさに、その『謀(はかりごと=方法・戦略)』にあるのではないか(豈不以謀哉)」と。ここに、方法の重要性についての教訓があります。第一に、同じ目的を達成するにも、その『方法』次第で、結果は、安泰にも、破滅にも、正反対に分かれるということ(安危之機、豈不以謀哉)。晁錯と主父偃は、同じ目的を持ちながら、方法の違いによって、一方は大乱を招き、一方は平穏に成功した。第二に、相手の反発を招く「力ずく」の方法よりも、相手が受け入れやすく、対立を招かない、賢い『仕組み』を用いるほうが、はるかに効果的だということ(推恩の令)。抵抗をねじ伏せるのではなく、抵抗が生じにくい設計を考える。第三に、目的だけでなく、それをどう実現するかの『方法・戦略』を、深く練ることの大切さ。組織や改革で、同じ目的でも方法次第で結果が安泰にも破滅にも分かれると知ること、力ずくでなく相手が受け入れやすい賢い仕組みを用いること、そして目的だけでなく方法・戦略を深く練ること——晁錯と主父偃の対比は、「安危の機は謀にあり」という、方法の決定的な重要性を教えます。
この章句が説くこと
孝景本紀太史公評主父偃推恩の令同じ目的でも方法次第安危之機豈不以謀哉
関連する章句
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『長短経』懼戒〔太史公曰く、漢興りて、孝文大徳を施し、天下懐安す。孝景に至りて、復た異姓を憂えず。而して晁錯諸侯を刻削し、遂に七国をして俱に起こらしめ、合従して西に向かわしむ。諸侯大いに盛んにして、晁錯之を為すに漸を以てせざればなり。主父偃之を言うに及びて、諸侯以て弱し。安危の機、豈に謀を以てせざらんや。〕
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