史記 / 呂太后本紀
太后遂に戚夫人の手足を断ち、眼を去り、耳を煇き、瘖薬を飲ましめ、廁中に居らしめ、命けて人彘と曰ふ。数日を居きて、乃ち孝惠帝を召して人彘を観しむ。孝惠見て、問ひ、乃ち其の戚夫人なるを知り、乃ち大いに哭し、因りて病み、歳餘起つ能はず。人をして太后に請はしめて曰、此れ人の為す所に非ず。臣太后の子為り、終に天下を治むる能はずと。
新字:太后遂に戚夫人の手足を断ち、眼を去り、耳を煇き、瘖薬を飲ましめ、廁中に居らしめ、命けて人彘と曰ふ。数日を居きて、乃ち孝恵帝を召して人彘を観しむ。孝恵見て、問ひ、乃ち其の戚夫人なるを知り、乃ち大いに哭し、因りて病み、歳余起つ能はず。人をして太后に請はしめて曰、此れ人の為す所に非ず。臣太后の子為り、終に天下を治むる能はずと。
書き下し
太后遂に戚夫人の手足を断ち、眼を去り、耳を煇き、瘖薬を飲ましめ、廁中に居らしめ、命けて人彘と曰ふ。数日を居きて、乃ち孝惠帝を召して人彘を観しむ。孝惠見て、問ひ、乃ち其の戚夫人なるを知り、乃ち大いに哭し、因りて病み、歳餘起つ能はず。人をして太后に請はしめて曰く、「此れ人の為す所に非ず。臣太后の子為り、終に天下を治むる能はず」と。
現代語訳
「憎しみに任せた残虐な復讐は、相手だけでなく、自らと、自らの大切なものをも損なう」——呂太后の凄惨な復讐と、その報いを描いた、この篇で最も恐ろしい一段です。高祖の死後、実権を握った呂太后は、生前、高祖の寵愛を奪った戚夫人(せきふじん)への、積年の憎しみを、凄惨な形で晴らしました。戚夫人の手足を切断し、両眼をえぐり、耳を焼き、口のきけなくなる薬を飲ませ、便所の中に放置して、「人彘(じんち=人間豚)」と名づけたのです。想像を絶する、残虐な仕打ちでした。しかも呂太后は、数日後、自分の実の息子である孝惠帝を呼び寄せ、この「人彘」を、わざわざ見せました。孝惠帝は、それが戚夫人の成れの果てだと知ると、あまりの衝撃に、声をあげて泣き、そのまま病に倒れて、一年以上も、起き上がれなくなってしまいました。そして、母である太后に、こう伝えさせたのです。「これは、(とても)人間のすることではありません。私は、太后(母上)の子でありながら、(こんな母のもとでは、)もはや、天下を治めることなどできません(臣為太后子、終不能治天下)」と。母の残虐さに絶望した孝惠帝は、以後、政治への意欲を失い、酒色に溺れて、若くして世を去りました。呂太后の復讐は、憎い相手を苦しめた一方で、最も大切なはずの、我が子の心を打ち砕き、その命さえ縮めたのです。ここに、憎しみと復讐についての教訓があります。第一に、憎しみや恨みに任せた、度を越した復讐は、相手を損なうだけでなく、必ず、自分自身と、自分の大切なもの(呂太后にとっての実の息子)をも、損なうということ。残虐な行いは、その恐ろしさによって、周囲を、そして自らの身内の心をも、深く傷つける。第二に、感情(憎しみ)に呑まれて、人としての一線を越えれば、たとえ権力で相手を屈服させても、人心を失い、(孝惠帝が政治を投げ出したように)大きな代償を払うことになるということ。第三に、恨みは、晴らせば晴らすほど、後味の悪さと、新たな禍を生むということ。組織や人間関係で、憎しみや恨みに任せた度を越えた報復は自分と大切なものをも損なうと知ること、感情に呑まれて人としての一線を越えないこと、そして恨みを晴らすことがかえって禍を生むと自覚すること——呂太后の「人彘」は、残虐な復讐が招く、恐ろしい報いを教える、痛烈な反面教師です。