史記 / 項羽本紀
項籍少時,學書不成,去,學劍,又不成。項梁怒之。籍曰:「書足以記名姓而已。劍一人敵,不足學,學萬人敵!」於是項梁乃教籍兵法,籍大喜,略知其意,又不肯竟學。
新字:項籍少時,学書不成,去,学剣,又不成。項梁怒之。籍曰:「書足以記名姓而已。剣一人敵,不足学,学万人敵!」於是項梁乃教籍兵法,籍大喜,略知其意,又不肯竟学。
書き下し
項籍少き時、書を学びて成らず、去りて剣を学ぶも、又成らず。項梁之を怒る。籍曰く、「書は以て名姓を記すに足るのみ。剣は一人の敵、学ぶに足らず、万人の敵を学ばん」と。是に於て項梁乃ち籍に兵法を教ふ、籍大いに喜ぶも、略ぼ其の意を知り、又肯へて学を竟へず。籍長八尺餘、力能く鼎を扛ぐ、才気人に過ぐ。
現代語訳
項籍は若いころ、文字を学んだが物にならず、やめて剣を学んだが、これも物にならなかった。項梁は怒った。籍は言った。「文字は名前を書ければ十分です。剣は一人を相手にするだけのもので、学ぶに値しない。私は万人を相手にする術を学びたい」。そこで項梁は籍に兵法を教えた。籍は大いに喜んだが、大まかな意味を掴むと、また最後まで学ぼうとしなかった。籍は身の丈八尺余り、力は鼎を持ち上げるほどで、才気は人並みはずれていた。
解説
「大きな志を抱きながらも、何事も中途半端に投げ出す——その癖が、後の破滅の芽となる」——英雄・項羽の、若き日の危うさを描いた一段です。項羽は、若い頃、まず文字(学問)を学びましたが、身につけずにやめてしまいました。次に、剣術を学びましたが、これもまた、ものにならずにやめてしまいます。叔父の項梁が、これを怒ると、項羽は、こう言い放ちました。「文字など、自分の名前が書ければ十分だ。剣術は、しょせん一人を相手にするだけの技。学ぶに値しない。私は、万人を相手にする術(兵法)を学びたいのだ(學萬人敵)」と。その気宇壮大な志に、項梁は兵法を教えます。項羽は大喜びしましたが——ここでも、同じ癖が出ました。「おおよその意味を理解すると、(満足して)またもや、最後まで学び通そうとはしなかった(又不肯竟學)」のです。項羽は、身の丈八尺余り、鼎を持ち上げるほどの怪力で、才気は人並み外れていました。しかし、この「万人の敵を志しながら、何一つ、最後までやり遂げない」という若き日の癖こそ、後に、天下を取りながらも、それを保てずに滅んでいく、彼の生涯を、静かに暗示していたのです。ここに、志と修養についての教訓があります。第一に、どれほど大きな志(萬人敵)を抱いても、それを実現する力を、地道に、最後まで身につけなければ、志は志のままで終わるということ。項羽は、大志を語りながら、学問も、剣も、兵法も、すべて中途半端に投げ出した。壮大な目標と、それを支える地道な努力は、両輪でなければならない。第二に、「おおよそ分かった」で満足して、最後まで極めようとしない癖(略知其意、不肯竟學)の危うさ。物事を、深く極めずに、上っ面だけで済ませる習慣は、いざというとき、詰めの甘さとなって、致命傷になる。第三に、才気や力に恵まれた者ほど、(それに頼って)地道な修養を軽んじ、この落とし穴に陥りやすいということ。組織や自己修養で、大きな志にはそれを支える地道な努力が不可欠だと知ること、「おおよそ分かった」で満足せず物事を最後まで極めること、そして才気に恵まれた者ほど修養を軽んじる落とし穴に注意すること——項羽の若き日の癖は、志を実らせるための修養の大切さを、その悲劇的な生涯とともに教えます。
この章句が説くこと
項羽学万人敵大志と中途半端書不成剣又不成不肯竟学最後までやり遂げない癖
関連する章句
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史記 項羽本紀項籍は、下相(かそう)の人なり、字(あざな)は羽。初め起こりし時、年二十四。其の季父は項梁、梁の父は即ち楚の将項燕にして、秦の将王翦(おうせん)の戮する所と為りし者なり。項氏は世世楚の将たり、項に封ぜらる、故に項氏を姓とす。
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史記 項羽本紀項王自ら脱するを得ずと度る。其の騎に謂ひて曰く、「吾兵を起こして今に至るまで八歳、身七十餘戦、当たる所の者は破れ、撃つ所の者は服し、未だ嘗て敗北せず、遂に霸として天下を有つ。然れども今卒に此に困しむ、此れ天の我を亡ぼすにして、戦の罪に非ざるなり。今日固より死を決す、願はくは諸君の為に快戦し、必ず三たび之に勝ち、諸君の為に囲みを潰し、将を斬り、旗を刈り、諸君をして天の我を亡ぼすにして、戦の罪に非ざるを知らしめん」と。
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史記 項羽本紀項梁嘗て櫟陽(やくよう)の逮有り、乃ち蘄(き)の獄掾(ごくえん)曹咎に請ひて書もて櫟陽の獄掾司馬欣に抵(いた)さしめ、故を以て事已むを得たり。項梁人を殺し、籍と仇を呉中に避く。呉中の賢士大夫皆項梁の下に出づ。呉中に大繇役及び喪有る毎に、項梁常に主辦を為し、陰かに兵法を以て賓客及び子弟を部勒し、是を以て其の能を知る。秦の始皇帝会稽に游び、浙江を渡る、梁と籍と倶に観る。籍曰く、「彼取りて代はるべきなり。」と。梁其の口を掩ひて、曰く、「妄言する毋かれ、族せられん。」と。梁此を以て籍を奇とす。籍は長八尺余、力は能く鼎を扛(あ)げ、才気人に過ぎ、呉中の子弟と雖も皆已に籍を憚る。秦の二世元年七月、陳渉等大沢中に起こる。其の九月、会稽の守通、梁に謂ひて曰く、「江西皆反す、此れ亦天の秦を亡ぼすの時なり。吾聞く、先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為ると。吾兵を発し、公及び桓楚をして将たらしめんと欲す。」と。是の時桓楚亡げて沢中に在り。梁曰く、「桓楚亡げ、人其の処を知る莫し、独り籍のみ之を知るのみ。」と。梁乃ち出で、籍を誡めて剣を持して外に居りて待たしむ。梁復た入り、守と坐して、曰く、「請ふ籍を召し、命を受けて桓楚を召さしめん。」と。守曰く、「諾。」と。梁籍を召して入らしむ。須臾にして、梁籍に眴(めくば)せして曰く、「行ふべし。」と。是に於て籍遂に剣を抜きて守の頭を斬る。項梁守の頭を持ち、其の印綬を佩ぶ。門下大いに驚き、擾乱す、籍の撃殺する所数十百人。一府中皆慴伏し、敢へて起つ莫し。梁乃ち故より知る所の豪吏を召し、諭すに起こす所の大事を以てし、遂に呉中の兵を挙ぐ。人をして下県を収めしめ、精兵八千人を得たり。梁呉中の豪傑を部署して校尉・候・司馬と為す。一人の用ゐらるるを得ざる有り、自ら梁に言ふ。梁曰く、「前時某の喪に公をして某の事を主らしむるも、辦ずる能はず、此を以て公を任用せず。」と。衆乃ち皆伏す。是に於て梁は会稽の守と為り、籍は裨将と為りて、下県を徇ふ。
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