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史記 / 秦始皇本紀

尉繚曰、秦王の人と為り、蜂準、長目、摯鳥の膺、豺声、恩少なくして虎狼の心あり、約に居れば人の下に出づるに易く、志を得れば亦た軽んじて人を食らはん。我布衣なるも、然れども見ゆるに常に身を下る。誠に秦王をして天下を得しめば、天下皆虜と為らん、与に久しく游ぶ可からず。乃ち亡げ去らんと欲す。

書き下し

尉繚曰く、「秦王の人と為り、蜂準、長目、摯鳥の膺、豺声、恩少なくして虎狼の心あり、約に居れば人の下に出づるに易く、志を得れば亦た軽んじて人を食らはん。我布衣なるも、然れども見ゆるに常に身を下る。誠に秦王をして天下を得しめば、天下皆虜と為らん、与に久しく游ぶ可からず」と。乃ち亡げ去らんと欲す。

現代語訳

「困っているときは謙虚でも、志を遂げれば豹変する——そういう人物の本性を見抜く」——尉繚が、秦王(始皇)の人となりを鋭く見抜いた一段です。秦王に厚遇され、対等の礼で迎えられた尉繚(うつりょう)でしたが、彼は、その待遇に舞い上がることなく、冷静に秦王の本性を観察していました。そして、こう見抜きます。「秦王という人物は、その人相(蜂のような鼻、切れ長の目、猛禽のような胸、豺(やまいぬ)のような声)からして、恩情に薄く、虎や狼のような(残忍な)心を持っている。今は、(天下統一という志を遂げる前で)困難な状況にあるから、(私のような一介の庶民に対しても)へりくだって、人の下手に出るのは容易い。しかし、いったん志を遂げて(天下を得て)しまえば、たちまち豹変し、人を軽んじ、(虎狼のように)人を食い物にするだろう(得志亦輕食人)」と。だからこそ尉繚は、こう結論します。「私は一介の庶民だが、秦王は、私に会うときも、常にへりくだる。だが、もし本当に秦王が天下を取れば、天下の人々は皆、その奴隷のような扱いを受けることになる。この人物とは、長く付き合うべきではない」と。そして、ひそかに逃げ去ろうとしたのです。(実際、後の始皇帝の苛政を思えば、尉繚の眼力は的中していました。)ここに、人物を見抜くことについての教訓があります。第一に、人の本性は、その人が「困っているとき・志を遂げる前」の姿だけでは分からないということ。困窮しているときは、誰しも謙虚で、へりくだる。しかし、真価が問われるのは、その人が「志を遂げ、力を得たとき」に、どう振る舞うかである(居約易出人下、得志亦輕食人)。第二に、困っているときは腰が低くても、力を得た途端に豹変し、人を軽んじ、食い物にするような人物がいるということ。目先の低姿勢や厚遇に惑わされず、その本性を冷静に見極める眼が要る。第三に、そうした人物とは、(いくら今は厚遇されても)長く深く付き合うべきではない、という見切りの大切さ。組織や人間関係で、人の本性は困窮時でなく力を得たときの振る舞いに表れると知ること、目先の低姿勢や厚遇に惑わされず本性を見極めること、そして力を得れば豹変する人物を見切る眼を持つこと——尉繚の人物眼は、人を見抜く洞察を教えます。

解説

あなたは、人の本性を、その人が困っているときや、志を遂げる前の謙虚な姿だけで判断せず、「力を得たときにどう振る舞うか」まで見極めようとしていますか?困っているときは腰が低くても、力を得た途端に豹変し、人を軽んじる——そういう人物を、目先の低姿勢や厚遇に惑わされず、見抜けていますか?あなた自身は、困窮のときの謙虚さを、力を得た後も失わずにいられるでしょうか?

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

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