史記 / 秦本紀
繆公三将を素服して郊迎し、三人に向かひて哭して曰、孤百里傒・蹇叔の言を用ゐざるを以て三子を辱む、三子何の罪かあらん。子其れ心を悉くして恥を雪げ、怠る毋かれと。遂に三人の官秩を復すること故のごとくし、愈いよ益ます之を厚くす。三十六年、繆公復た厚く孟明等を益し、兵を将ゐて晉を伐ち、大いに晉人を破り、以て殽の役に報ゆ。乃ち軍に誓ひて、以て蹇叔・百里傒の謀を用ゐざるを申思し、後世をして以て余が過を記さしむ。君子聞きて、皆為に涕を垂れて曰、嗟乎、秦繆公の人に与すること周きや、卒に孟明の慶を得たりと。
書き下し
繆公三将を素服して郊迎し、三人に向かひて哭して曰く、「孤百里傒・蹇叔の言を用ゐざるを以て三子を辱む、三子何の罪かあらん。子其れ心を悉くして恥を雪げ、怠る毋かれ」と。遂に三人の官秩を復すること故のごとくし、愈いよ益ます之を厚くす。三十六年、繆公復た厚く孟明等を益し、兵を将ゐて晉を伐ち、大いに晉人を破り、以て殽の役に報ゆ。乃ち軍に誓ひて、以て蹇叔・百里傒の謀を用ゐざるを申思し、後世をして以て余が過を記さしむ。君子聞きて、皆為に涕を垂れて曰く、「嗟乎、秦繆公の人に与すること周きや、卒に孟明の慶を得たり」と。
現代語訳
「失敗の責任を部下に転嫁せず、自らの非として引き受け、その者に再起の機会を与える」——繆公が、大敗した将軍たちを迎えた、器の大きさを描いた一段です。殽(こう)の戦いで大敗し、捕虜となっていた秦の三人の将軍が、(晋から返されて)秦に帰ってきました。普通なら、大敗の責任を問われ、処罰されるところです。ところが繆公は、意外な出迎え方をしました。喪服を着て、都の郊外まで自ら出迎え、三人に向かって、声をあげて泣いて、こう言ったのです。「私が、百里傒と蹇叔の(遠征をやめよという)忠告を聴かなかったばかりに、お前たち三人に、(敗戦の)辱めを負わせてしまった。お前たちに、いったい何の罪があろうか(三子何罪乎)」と。敗戦の責任を、将軍たちに転嫁するのではなく、忠告を聴かなかった自分自身の非として、引き受けたのです。そればかりか、繆公は三人を、以前の官職にそのまま復帰させ、かえって、前よりも手厚く待遇しました(愈益厚之)。この信頼に応えて、三年後、将軍の孟明らは、再び軍を率いて晋を討ち、今度は大勝して、殽の恥を、みごとに雪いだのです。そして繆公は、その勝利に驕ることなく、軍に誓いを立て(秦誓)、「かつて蹇叔・百里傒の忠告を用いなかった、自分の過ちを、後世に記録として残せ」と命じました。自らの失敗を、隠すのではなく、教訓として刻ませたのです。この一部始終を聞いた君子たちは、皆、涙を流して言いました。「ああ、秦の繆公が、人に対して、これほど誠実で行き届いていた(與人周)からこそ、ついに、孟明(の大勝)という喜びを得たのだ」と。ここに、責任と再起についての教訓があります。第一に、失敗の責任を、部下に転嫁するのではなく、自らの非として引き受けること(三子何罪乎)。繆公は、敗戦を将軍のせいにせず、忠告を聴かなかった自分の過ちとした。上に立つ者が責任を引き受ける姿は、部下の心を、何よりも動かす。第二に、失敗した部下を、罰して切り捨てるのではなく、信頼を失わず、再起の機会を与えること(復其官秩、愈益厚之)。繆公の信頼に応えて、将軍たちは、後に大勝で報いた。人は、信じて任され続けることで、失敗を挽回しようと奮起する。第三に、自らの失敗を、隠すのではなく、教訓として記録し、繰り返さぬようにすること(令後世以記余過)。組織や経営で、失敗の責任を部下に転嫁せず自らの非として引き受けること、失敗した部下を切り捨てず再起の機会を与えること、そして自らの失敗を隠さず教訓として残すこと——繆公の器の大きさは、責任を取り、人を再び活かすリーダーのあり方を教えます。