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史記 / 周本紀

西伯陰かに善を行ふ、諸侯皆来たりて平を決す。是に於て虞・芮の人獄有りて決する能はず、乃ち周に如く。界に入るに、耕者皆畔を譲り、民俗皆長に譲る。虞・芮の人未だ西伯を見ざるに、皆慚ぢ、相謂ひて曰、吾が争ふ所は、周人の恥づる所なり、何ぞ往くことを為さん、秖だ辱を取るのみと。遂に還り、俱に譲りて去る。諸侯聞きて、西伯は蓋し受命の君なりと曰ふ。

書き下し

西伯陰かに善を行ふ、諸侯皆来たりて平を決す。是に於て虞・芮の人獄有りて決する能はず、乃ち周に如く。界に入るに、耕者皆畔を譲り、民俗皆長に譲る。虞・芮の人未だ西伯を見ざるに、皆慚ぢ、相謂ひて曰く、「吾が争ふ所は、周人の恥づる所なり、何ぞ往くことを為さん、秖だ辱を取るのみ」と。遂に還り、俱に譲りて去る。諸侯聞きて、「西伯は蓋し受命の君なり」と曰ふ。

現代語訳

「言葉で説かずとも、その場に満ちた良い気風が、人の争いを自然に恥じ入らせ、収める」——文王の徳が、争う者を諭した逸話を描いた一段です。文王(西伯)が、ひそかに善政を積んでいたので、諸侯は、もめ事があると、皆、その公正な裁定を求めて、周にやって来ました。あるとき、虞(ぐ)と芮(ぜい)という二つの国の人々が、土地をめぐって争い、どうしても決着がつかず、文王に裁いてもらおうと、周を訪れました。ところが——彼らが周の国境に足を踏み入れると、目にしたのは、思いもよらぬ光景でした。「田を耕す者は、皆、(争うどころか)田の境界を、互いに譲り合い(耕者皆讓畔)、人々の習わしは、皆、年長者に道を譲るものだった(民俗皆讓長)」。周の地には、譲り合いの気風が、すみずみまで満ちていたのです。この光景を見て、争ってきた虞・芮の人々は、まだ文王に会ってもいないのに、皆、深く恥じ入りました。そして、互いにこう言い合ったのです。「我々が(あさましく)争っているものは、周の人々なら、恥とすることだ。今さら(文王のもとへ)行って何になろう。ただ、恥をかくだけだ(秖取辱耳)」と。結局、彼らは、文王に会うことなく引き返し、二人とも、争っていた土地を、互いに譲り合って、去っていきました。文王は、一言も裁定を下していないのに、その地に満ちた気風だけで、争いは収まったのです。諸侯はこれを聞き、「西伯こそ、天命を受けた(真の)君主だ」と讃えました。ここに、感化と気風についての教訓があります。第一に、言葉で説教したり、直接介入して裁いたりせずとも、その場に満ちた良い気風・文化そのものが、人を感化し、争いを自然に収める力を持つということ。文王は、何もしていない。ただ、周の地に満ちた譲り合いの気風が、争う者を恥じ入らせた。第二に、組織や集団の「気風・文化」は、そこにいる人々の日々の振る舞いによって作られ、それが、新しく来た者をも自然に感化するということ。良い文化は、最強の、そして最も静かな教育である。第三に、リーダーの真の力は、一つひとつの問題を直接裁くことよりも、そうした良い気風・文化を、組織全体に育てることにあるということ。組織や経営で、言葉や介入でなく良い気風・文化そのものが人を感化すると知ること、その文化が日々の振る舞いの積み重ねで作られると理解すること、そしてリーダーの真の力が良い文化を育てることにあると自覚すること——虞芮の訟の逸話は、気風・文化が持つ感化の力を教えます。

解説

あなたは、部下や周囲の問題を、一つひとつ言葉で説いたり直接裁いたりするだけでなく、その場に満ちた良い気風・文化そのものによって、自然に良い方向へ導けていますか?組織や集団の「気風・文化」が、そこにいる人々の日々の振る舞いの積み重ねによって作られ、新しく来た人をも感化することを、意識できていますか?リーダーの真の力が、個々の問題を裁くこと以上に、良い気風・文化を組織全体に育てることにあると、理解していますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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