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史記 / 五帝本紀

堯曰、誰か此の事に順ふ可き。放齊曰、嗣子丹朱開明なりと。堯曰、吁、頑凶なり、用ゐず。堯又曰、誰か可なる者ぞ。讙兜曰、共工旁く功を聚布す、用ゐる可し。堯曰、共工は言を善くするも、其の用は僻なり、恭に似て天を漫る、不可なり。四嶽鯀を挙げて鴻水を治めしむ、堯以て不可と為すも、嶽彊ひて之を試みんことを請ふ、試みるも功成らず。

新字:堯曰、誰か此の事に順ふ可き。放斉曰、嗣子丹朱開明なりと。堯曰、吁、頑凶なり、用ゐず。堯又曰、誰か可なる者ぞ。讙兜曰、共工旁く功を聚布す、用ゐる可し。堯曰、共工は言を善くするも、其の用は僻なり、恭に似て天を漫る、不可なり。四嶽鯀を挙げて鴻水を治めしむ、堯以て不可と為すも、嶽彊ひて之を試みんことを請ふ、試みるも功成らず。

書き下し

堯曰く、「誰か此の事に順ふ可き」と。放齊曰く、「嗣子丹朱開明なり」と。堯曰く、「吁、頑凶なり、用ゐず」と。堯又曰く、「誰か可なる者ぞ」と。讙兜曰く、「共工旁く功を聚布す、用ゐる可し」と。堯曰く、「共工は言を善くするも、其の用は僻なり、恭に似て天を漫る、不可なり」と。四嶽鯀を挙げて鴻水を治めしむ、堯以て不可と為すも、嶽彊ひて之を試みんことを請ふ、試みるも功成らず。

現代語訳

「身内びいきに流されず、口先の巧みさに惑わされず、人を的確に見抜く」——帝堯の、人を選ぶ際の厳しい眼を描いた一段です。帝堯が、後継者や重要な任務を担う人材を求めたとき、その人選には、私情も、うわべの評判も、いっさい入り込みませんでした。まず、後継について。ある家臣が「あなたの跡継ぎの子、丹朱は聡明です」と、堯の実の息子を推薦しました。しかし堯は、きっぱりと退けます。「いや、あれは頑固で、道理に逆らう性質だ。用いるわけにはいかない(頑凶、不用)」と。我が子であっても、その資質が伴わなければ、重い任には就けなかったのです。次に、共工という人物が推薦されると、堯はこう見抜きます。「共工は、弁舌は巧みだが、実際の行いは、よこしまだ。うわべは恭しく見えて、その実、天をも欺くような男だ(善言、其用僻、似恭漫天)。不可である」と。口先の巧みさと、恭しげな態度の裏にある、本性を見抜いたのです。さらに、洪水の治水にあたって、周囲が鯀(こん)という人物を強く推したときも、堯は「彼には無理だ」と難色を示しました。しかし周囲が「ともかく試させてほしい」と強く請うので、しぶしぶ用いたところ、案の定、九年かけても、治水は成し遂げられませんでした。ここに、人を見抜くことについての教訓があります。第一に、身内びいき(縁故)に流されず、たとえ我が子であっても、資質が伴わなければ、重要な任に就けない厳しさ(丹朱、頑凶不用)。私情で人を用いれば、組織を誤らせる。地位は、血縁ではなく、資質と実力で与えるべきである。第二に、口先の巧みさや、恭しげなうわべの態度に惑わされず、その人の実際の行い(用)と、本性を見抜くこと(善言、其用僻、似恭漫天)。よく喋る者、調子のよい者が、必ずしも有能で誠実とは限らない。言葉ではなく、行いで判断する。第三に、自分の的確な判断を、周囲の強い推薦に押し切られないこと。堯は、鯀を「不可」と見抜いていたのに、周囲に押されて用い、失敗した。多数の声より、自分の見極めを信じる場面もある。組織や人事で、身内びいきに流されず資質で人を選ぶこと、口先や態度でなく実際の行いで人を見抜くこと、そして自分の的確な判断を安易に周囲に押し切られないこと——帝堯の人選は、人を見抜く眼の厳しさを教えます。

解説

あなたは、人を重要な役に就けるとき、身内びいきや縁故に流されず、たとえ身近な者であっても、資質と実力で判断できていますか?口先の巧みさや、恭しげなうわべの態度に惑わされず、その人の実際の行いと本性を見抜けていますか?自分が「この人選は良くない」と的確に見抜いたとき、それを周囲の強い推薦に安易に押し切られていませんか?

この一句を、あなたの毎日に。

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