史記 / 太史公自序
於是卒述陶唐以來,至于麟止,自黃帝始。
新字:於是卒述陶唐以来,至于麟止,自黄帝始。
書き下し
是に於いて卒に陶唐より以来を述べて、麟止に至り、黄帝より始む。
現代語訳
こうしてついに、陶唐(堯)以来の歴史を述べて、麒麟が捕らえられた年(武帝の元狩元年)までとし、黄帝から書き始めた。
解説
史記の記述範囲を一文で示した、太史公自序の中の重要な一節です。この直前で司馬遷は、李陵を弁護して宮刑を受けた苦しみと、文王や孔子、屈原、孫子、韓非らがみな逆境の中で書を著したことを思い起こし、胸に鬱結したものを抱えた人々が過去を述べて未来に思いを託したのだと述べています。その決意を受けて、堯の時代から麒麟が捕らえられた年までを述べ、黄帝から書き起こすことにしたのです。麒麟の捕獲は、孔子が春秋の筆を置いたとされる出来事にちなむもので、武帝の世にも白い麒麟が捕らえられたことを、自らの書の区切りに重ねています。黄帝から武帝まで約二千年余りを一つの書にまとめるという構想の大きさが、この短い言葉に込められています。大きな仕事ほど、どこから始めてどこで区切るかを決めることが最初の一歩です。範囲を定めてこそ、完成に向かえるのです。
この章句が説くこと
太史公自序結び司馬遷史記述往事思来者構想蔵之名山俟後世聖人君子
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