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史記 / 日者列伝

述べて作らざるは、君子の義なり。今夫れ卜者は、必ず天地に法り、四時に象り、仁義に順ふ。莊子曰く、君子は内に饑寒の患無く、外に劫奪の憂無く、上に居りて敬せられ、下に居りて害を為さざるは、君子の道なりと。今夫れ卜筮なる者の業為るや、之を積むに委聚無く、之を蔵むるに府庫を用ゐず、持たざる索の物を持ちて、無窮の世に游ぶ。日中すれば必ず移り、月満つれば必ず虧く。先王の道、乍ち存し乍ち亡ぶ。公卜者に言必ず信ならんことを責むるは、亦た惑ひならずや。

新字:述べて作らざるは、君子の義なり。今夫れ卜者は、必ず天地に法り、四時に象り、仁義に順ふ。荘子曰く、君子は内に饑寒の患無く、外に劫奪の憂無く、上に居りて敬せられ、下に居りて害を為さざるは、君子の道なりと。今夫れ卜筮なる者の業為るや、之を積むに委聚無く、之を蔵むるに府庫を用ゐず、持たざる索の物を持ちて、無窮の世に游ぶ。日中すれば必ず移り、月満つれば必ず虧く。先王の道、乍ち存し乍ち亡ぶ。公卜者に言必ず信ならんことを責むるは、亦た惑ひならずや。

書き下し

述べて作らざるは、君子の義なり。今夫れ卜者は、必ず天地に法り、四時に象り、仁義に順ふ。莊子曰く、「君子は内に饑寒の患無く、外に劫奪の憂無く、上に居りて敬せられ、下に居りて害を為さざるは、君子の道なり」と。今夫れ卜筮なる者の業為るや、之を積むに委聚無く、之を蔵むるに府庫を用ゐず、持たざる索の物を持ちて、無窮の世に游ぶ。日中すれば必ず移り、月満つれば必ず虧く。先王の道、乍ち存し乍ち亡ぶ。公卜者に言必ず信ならんことを責むるは、亦た惑ひならずや。

現代語訳

「誠実に営まれる仕事には、地位の高低にかかわらず、それ自体の尊厳がある」——司馬季主が、自らの職の誇りと、物事の道理を説いた一段です。司馬季主は、占いという自らの仕事を、卑下することなく、堂々とその意義を語ります。「(先人の教えを)受け継いで伝え、勝手な作為を加えない——これこそ君子の道である(述而不作、君子義也)。今、占い師というものは、必ず天地の理法にのっとり、四季の運行になぞらえ、仁義の道に従って(事を占う)」と。誠実に、道理にかなって営まれる仕事だ、というのです。そして、荘子の言葉を引いて、その暮らしの尊さを語ります。「荘子は言った。『君子は、内には飢えや寒さの心配がなく、外には(他人から)奪われる憂いがなく、上の立場にあっては敬われ、下の立場にあっては(人に)害を与えない。これが君子の道である(内無饑寒之患、外無劫奪之憂)』と」。占い師の仕事は、蓄えを溜め込む必要も、蔵に財を隠す必要もなく、(知識という)尽きることのない元手を持って、限りない世を、心安らかに生きられる——地位や財の多寡とは別の、精神の豊かさと自由がある、というのです。さらに、物事の道理も説きます。「太陽は、真南に達すれば、必ず傾き始める。月は、満ちれば、必ず欠けていく(日中必移、月滿必虧)。(絶対と思われた)先王の道でさえ、時とともに、あるいは行われ、あるいは廃れる。それなのに、(移ろう世を占う)占い師の言葉に、必ず的中せよと求めるのは、(世の道理を知らぬ)迷いではないか」と。ここに、二つの教訓があります。一つは、仕事の尊厳について。誠実に、道理にかなって営まれる仕事には、地位の高低や世間の評価にかかわらず、それ自体の尊厳があるということ。占い師の仕事も、天地の理にのっとり、仁義に従って誠実に営まれるなら、卑しいどころか、君子の道に通じる。仕事の貴賤は、職種ではなく、その営み方の誠実さで決まる。もう一つは、物事の移ろいについて。太陽も月も、満ちれば欠ける。絶対不変のものなどなく、すべては移ろう(日中必移、月満必虧)。だからこそ、何事にも「必ず」「絶対」を求めるのは、道理に反する。組織や人生で、仕事の尊厳が職種でなくその営み方の誠実さで決まると知ること、地位や財の多寡とは別の精神の豊かさと自由があると理解すること、そして物事は必ず移ろうと心得て絶対を求めないこと——司馬季主の言葉は、仕事の尊厳と、移ろう世の道理を教えます。

解説

あなたは、仕事の貴賤や尊厳が、職種や世間の評価ではなく、その仕事をどれだけ誠実に、道理にかなって営むかで決まると、考えられていますか?地位や財の多寡とは別に、知識や精神の豊かさ、心の自由といった、もう一つの豊かさの価値を、感じられていますか?太陽も月も満ちれば欠けるように、物事はすべて移ろうと心得て、何事にも「必ず」「絶対」を求めすぎていないか、省みられていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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