史記 / 游侠列伝
魯の朱家は、高祖と時を同じくす。蔵し活かす所の豪士は百を以て数へ、其の餘の庸人は勝げて言ふ可からず。然れども終に其の能を伐らず、其の徳を歆ぶことをせず、諸そ嘗て施す所は、唯だ之を見らるるを恐る。人を振ふに贍らざれば、先づ貧賤より始む。家に餘財無く、衣は采を完うせず、食は味を重ねず、乗は軥牛に過ぎず。専ら人の急に趨り、己の私よりも甚だし。既に陰かに季布将軍の阸を脱す、布の尊貴なるに及び、身を終ふるまで見えざるなり。
新字:魯の朱家は、高祖と時を同じくす。蔵し活かす所の豪士は百を以て数へ、其の余の庸人は勝げて言ふ可からず。然れども終に其の能を伐らず、其の徳を歆ぶことをせず、諸そ嘗て施す所は、唯だ之を見らるるを恐る。人を振ふに贍らざれば、先づ貧賤より始む。家に余財無く、衣は采を完うせず、食は味を重ねず、乗は軥牛に過ぎず。専ら人の急に趨り、己の私よりも甚だし。既に陰かに季布将軍の阸を脱す、布の尊貴なるに及び、身を終ふるまで見えざるなり。
書き下し
魯の朱家は、高祖と時を同じくす。蔵し活かす所の豪士は百を以て数へ、其の餘の庸人は勝げて言ふ可からず。然れども終に其の能を伐らず、其の徳を歆ぶことをせず、諸そ嘗て施す所は、唯だ之を見らるるを恐る。人を振ふに贍らざれば、先づ貧賤より始む。家に餘財無く、衣は采を完うせず、食は味を重ねず、乗は軥牛に過ぎず。専ら人の急に趨り、己の私よりも甚だし。既に陰かに季布将軍の阸を脱す、布の尊貴なるに及び、身を終ふるまで見えざるなり。
現代語訳
「多くの人を助けながら、その功を誇らず、見返りも求めず、自らは質素に暮らす」——無私の義人・朱家の生き方を描いた一段です。朱家は、高祖(劉邦)と同じ時代の、名高い義人でした。彼が匿い、救った有力者は百人を数え、その他の名もなき人々に至っては、数えきれないほどでした。しかし、これほど多くの人を助けながら、朱家は「けっして自分の能力を誇らず、施した徳を得意がることもなかった(終不伐其能、歆其德)」。それどころか、「自分がかつて施した相手に対しては、(恩に着せるどころか)その相手に会うことを、むしろ恐れた(諸所嘗施、唯恐見之)」というのです。人を助けるときには、まず最も貧しく身分の低い者から始めました(振人不贍、先從貧賤始)。そして、これほど人に尽くしながら、自分自身は極めて質素に暮らしました。家に余分な財産はなく、着物は色物の揃ったものもなく、食事は二品と重ねず、乗り物も粗末な牛車で我慢した。ひたすら他人の急難に駆けつけることを、自分のことより優先したのです(專趨人之急、甚己之私)。かつて、追われる身の季布将軍を、ひそかに救ったこともありました。しかし、その季布が後に高い地位に就くと、朱家は生涯、二度と季布に会おうとしませんでした(及布尊貴、終身不見也)。恩を売って見返りを得ようなどとは、みじんも考えなかったのです。ここに、無私の徳についての教訓があります。第一に、多くの人を助け、大きな善行を積んでも、それを誇らず、得意がらないこと(不伐其能)。朱家は、施した相手に会うことすら恐れた。善行を誇示し、恩に着せる者は、その善行の価値を、自ら損なってしまう。第二に、人に尽くす一方で、自分自身は質素に、慎ましく暮らすこと。朱家は、他人の急難を、自分の私事より優先しながら、自らの生活は簡素を貫いた。第三に、そして最も気高いのは、施した恩に対して、見返りや報酬を求めないこと(季布が尊貴になっても会わなかった)。無私とは、与えて、なお何も求めないことである。組織や人生で、善行や貢献を誇らず得意がらないこと、人に尽くしながら自らは慎ましくあること、そして施した恩に見返りを求めないこと——朱家の生き方は、無私の徳の気高さを教えます。