史記 / 游侠列伝
而布衣之徒,設取予然諾,千里誦義,為死不顧世,此亦有所長,非苟而已也。故士窮窘而得委命,此豈非人之所謂賢豪間者邪?誠使鄉曲之俠,予季次、原憲比權量力,效功於當世,不同日而論矣。要以功見言信,俠客之義又曷可少哉!
新字:而布衣之徒,設取予然諾,千里誦義,為死不顧世,此亦有所長,非苟而已也。故士窮窘而得委命,此豈非人之所謂賢豪間者邪?誠使郷曲之侠,予季次、原憲比権量力,効功於当世,不同日而論矣。要以功見言信,侠客之義又曷可少哉!
書き下し
布衣の徒、取予然諾を設け、千里に義を誦せられ、死を為して世を顧みず、此れ亦た長ずる所有り、苟くもするのみに非ざるなり。故に士窮窘して命を委ぬるを得、此れ豈に人の所謂賢豪の閒なる者に非ざるか。要は功見はれ言信なるを以てし、俠客の義又曷ぞ少とす可けんや。
現代語訳
無位無官の徒でありながら、受けることと与えること、承諾したことを重んじ、千里の彼方までその義が語り伝えられ、人のために死んで世間の評判を顧みない。これもまた優れたところがあるのであって、いい加減にやっているのではない。だから士は困窮したとき、彼らに命を託すことができる。これこそ、世にいう賢人・豪傑の類ではないだろうか。要は、功が現れ、言葉に信があることである。俠客の義を、どうして軽んじることができようか。
解説
「約束を必ず守り、困った人のために命も惜しまない——その信義には、大きな値打ちがある」——司馬遷が、任俠の人々の徳を評価した一段です。司馬遷は、身分は低くとも義に生きる人々(布衣の徒)を、こう評価します。彼らは「(人との)授受や約束を、きちんと筋道立てて守り(設取予然諾)」、その義の高さは「千里の遠くにまで称えられ(千里誦義)」、いざとなれば「(他人のために)死をも覚悟して、世間の評判など顧みない(為死不顧世)」。こうした生き方には、確かに優れたところがあり、いい加減な、その場しのぎのものではない、というのです。だからこそ、「窮地に陥った人が、(この人になら)と、自分の命運を託すことができる(士窮窘而得委命)」。これこそ、世に言う「賢豪の士」というものではないか、と。そして司馬遷は、彼らの徳の核心を、こう要約します。「要するに、(口先だけでなく)実際に功績が形となって現れ、その言葉に偽りがない(功見言信)——このことにおいて、任俠の人々の義を、どうして軽んじることができようか」と。ここに、信義についての教訓があります。第一に、人との約束を必ず守り、授受の筋を通すこと(取予然諾)が、信頼される人物の土台だということ。約束を軽んじる者は、いくら能力があっても、人から命運を託されることはない。第二に、いざというとき、自分の損得や世間の評判を顧みず、困っている人のために身を尽くすこと(為死不顧世)。困難のときにこそ発揮される、こうした無私の行動が、その人への深い信頼を生む。第三に、そして最も大切なのは、口先だけでなく、実際に行動と結果で示し、言葉に偽りがないこと(功見言信)。立派なことを語るだけでなく、それを実際の功として現し、言ったことを必ず果たす——この一貫性こそが、義の核心である。組織や人生で、約束を必ず守り授受の筋を通すこと、困った人のために損得を顧みず身を尽くすこと、そして口先でなく行動と結果で示し言葉に偽りがないこと——司馬遷が評価した任俠の義は、信義に生きることの値打ちを教えます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
游侠取予然諾約束を必ず守る信義為死不顧世困った人のために身を尽くす
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