史記 / 酷吏列伝
寧成は、穰の人なり。気を好み、人の小吏為るや、必ず其の長吏を陵ぎ、人の上為るや、下を操ること溼薪を束ぬるがごとし。滑賊にして威に任ず。稍く遷りて済南都尉に至る。武帝即位し、徙りて内史と為る。外戚多く成の短を毀り、罪に抵り髡鉗せらる。是の時九卿罪死すれば即ち死し、少く刑を被る、而して成極刑せられ、自ら以て復た収せられずと為し、乃ち脱走して關を帰る。
新字:寧成は、穰の人なり。気を好み、人の小吏為るや、必ず其の長吏を陵ぎ、人の上為るや、下を操ること溼薪を束ぬるがごとし。滑賊にして威に任ず。稍く遷りて済南都尉に至る。武帝即位し、徙りて内史と為る。外戚多く成の短を毀り、罪に抵り髡鉗せらる。是の時九卿罪死すれば即ち死し、少く刑を被る、而して成極刑せられ、自ら以て復た収せられずと為し、乃ち脱走して関を帰る。
書き下し
寧成は、穰の人なり。気を好み、人の小吏為るや、必ず其の長吏を陵ぎ、人の上為るや、下を操ること溼薪を束ぬるがごとし。滑賊にして威に任ず。稍く遷りて済南都尉に至る。武帝即位し、徙りて内史と為る。外戚多く成の短を毀り、罪に抵り髡鉗せらる。是の時九卿罪死すれば即ち死し、少く刑を被る、而して成極刑せられ……
現代語訳
「下の者を苛酷に締めつけ、力にまかせて人を扱えば、やがて自分に報いが返る」——苛酷な官吏・寧成の、その扱い方と末路を描いた一段です。寧成という人物は、血気にはやる性格でした。その人の扱い方には、はっきりとした特徴があります。自分が下級の役人であったときには、「必ず上司をないがしろにして侮った(必陵其長吏)」。逆に、自分が人の上に立つ立場になると、「部下を扱うこと、まるで湿った薪を(力ずくで)束ねるようだった(操下如束溼薪)」というのです。濡れて扱いにくい薪を無理やり縛り上げるように、部下を力で締めつけ、抑えつけた。ずる賢く、そして威圧(威)にまかせて人を動かしたのです。彼は次第に昇進して高位に上りましたが、やがて報いが訪れます。武帝が即位すると、外戚たちがこぞって寧成の欠点をあげつらい、彼は罪に問われて、髪を剃られ首かせをはめられる刑を受けました。当時、高官は罪を得ても、刑罰を受けるより死を選ぶのが通例でしたが、寧成は重い刑に処せられ……と、苛酷に人を扱った者が、今度は自らが苛酷な立場に転落していったのです。ここに、人の扱い方についての教訓があります。第一に、下の者を力ずくで締めつけ、威圧にまかせて扱う(操下如束溼薪)マネジメントは、一時は人を従わせても、恨みを買い、やがて報いが返るということ。湿った薪を無理に縛るような扱いは、部下の心を離れさせ、いざというときに誰も自分を助けない。第二に、下にいるときは上を侮り、上に立つと下を虐げる——その一貫性のない、力の論理だけで動く態度が、多くの敵を作るということ。寧成が失脚したとき、こぞって欠点をあげつらわれたのは、日頃の恨みの表れである。第三に、威圧や力で人を動かす者は、自分が力を失ったとき、同じ論理で報復されるということ。組織や人の扱いで、下の者を力ずくで締めつける苛酷なやり方が恨みと報いを招くと知ること、立場によって態度を変える力の論理が敵を作ると自覚すること、そして威圧でなく信頼で人を動かすこと——寧成の生き方と末路は、苛酷なマネジメントの代償を、反面教師として教えます。