史記 / 儒林列伝
董仲舒,廣川人也。以治春秋,孝景時為博士。下帷講誦,弟子傳以久次相受業,或莫見其面,蓋三年董仲舒不觀於舍園,其精如此。進退容止,非禮不行,學士皆師尊之。
新字:董仲舒,広川人也。以治春秋,孝景時為博士。下帷講誦,弟子伝以久次相受業,或莫見其面,蓋三年董仲舒不観於舎園,其精如此。進退容止,非礼不行,学士皆師尊之。
書き下し
董仲舒、広川の人なり。春秋を治むるを以て、孝景の時博士と為る。帷を下して講誦し、弟子久次を以て相ひ伝へて業を受け、或いは其の面を見る莫し、蓋し三年董仲舒舍園を観ず、其の精なること此くのごとし。進退容止、礼に非ざれば行はず、学士皆之を師尊す。
現代語訳
董仲舒は広川の人である。『春秋』を修めたことにより、孝景帝の時代に博士となった。帳を下ろして講義し、弟子は入門の古い者から順に教えを伝え合ったので、中には董仲舒の顔を見たことのない者さえいた。三年の間、董仲舒は庭を眺めることすらなかったという。それほどまでに集中していたのである。立ち居振る舞いも、礼にかなわないことは行わなかった。学者たちはみな彼を師と仰いで尊んだ。
解説
「一事に精魂を傾けて打ち込む、その集中と徹底」——大学者・董仲舒の、驚くべき没入ぶりを描いた一段です。董仲舒は、春秋(歴史経典)を修めて、景帝の時代に博士(学官)となった、後の世に絶大な影響を与える大学者です。その学問への打ち込み方は、常軌を逸するほど徹底したものでした。彼は、部屋に帳(とばり)を垂らして、その内で講義に没頭しました。弟子が多すぎて、直接には教えきれないため、古参の弟子が新参の弟子へと順に教えを伝えていく仕組みで、弟子の中には、師である董仲舒の顔を一度も見たことがない者さえいたといいます。そして、驚くべきことに——「三年もの間、董仲舒は、自宅の庭を(眺めることさえ)しなかった(三年不觀於舍園)」。学問への集中があまりに深く、庭に目をやる暇もなかったほど、精魂を傾けきったのです(其精如此)。さらに、彼の日常の立ち居振る舞いは、常に礼にかなっており、礼に外れたことは一切しなかった。その学識と人格ゆえに、学者たちは皆、彼を師として尊敬したのです。ここに、集中と徹底についての教訓があります。第一に、一つのことを極めるには、他を忘れるほどの深い集中と没入が要るということ。「三年、庭も見なかった」という董仲舒の逸話は、一事に精魂を傾けきる、その徹底ぶりの象徴である。中途半端な取り組みからは、一流は生まれない。第二に、卓越した成果や信頼は、こうした地道で徹底した打ち込みの積み重ねから生まれるということ。董仲舒が学者たちに師と仰がれたのは、その並外れた精進の結果でした。第三に、日常の振る舞いにおいても、常に筋(礼)を守り、律していたこと——学問だけでなく、生き方全体が一貫していた。ただし、この篇は続けて、董仲舒の学説が他人に悪用されて危機を招いた顛末も記しており、深い学識も、それがどう扱われるかまでは制御できない難しさも、あわせて示しています。組織や仕事で、一つのことを極めるための深い集中と没入を持つこと、卓越は地道な徹底の積み重ねから生まれると知ること、そして専門だけでなく生き方全体の筋を保つこと——董仲舒の精進は、一事に打ち込むことの尊さを教えます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
董仲舒三年不観於舎園一事への集中と没入精魂を傾ける徹底した打ち込み地道な精進
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