史記 / 汲鄭列伝
大将軍青既に益ます尊し、姊皇后為り、然れども黯之と亢礼す。人或いは黯に説きて曰、天子群臣をして大将軍に下らしめんと欲す、大将軍尊重益ます貴し、君以て拝せざる可からず。黯曰、夫れ大将軍を以て揖客有らば、反りて重からざらんや。大将軍聞き、愈いよ黯を賢とし、数しば国家朝廷の疑ふ所を請問し、黯を遇すること平生に過ぐ。淮南王謀反するや、黯を憚りて曰、直諫を好み、節を守り義に死す、惑はすに非を以てし難し。丞相弘を説くがごときに至りては、蒙を発き落を振ふがごときのみ。
書き下し
大将軍青既に益ます尊く、姊皇后為り、然れども黯之と亢礼す。人或いは黯に説きて曰く、「天子群臣をして大将軍に下らしめんと欲す、大将軍尊重益ます貴し、君以て拝せざる可からず」と。黯曰く、「夫れ大将軍を以て揖客有らば、反りて重からざらんや」と。大将軍聞き、愈いよ黯を賢とし、数しば国家朝廷の疑ふ所を請問し、黯を遇すること平生に過ぐ。淮南王謀反するや、黯を憚りて曰く、「直諫を好み、節を守り義に死す、惑はすに非を以てし難し。丞相弘を説くがごときに至りては、蒙を発き落を振ふがごときのみ」と。
現代語訳
「権勢ある相手にも媚びず対等に接し、不正を企む者からは恐れられる」——汲黯の毅然とした態度が持つ力を描いた一段です。大将軍・衛青は、姉が皇后となり、権勢はいよいよ高まっていました。誰もが衛青にひれ伏す中、汲黯だけは、彼と「対等の礼(亢禮)」で接し、拝跪しようとしませんでした。ある人が汲黯に忠告します。「天子は、家臣たちに大将軍へひれ伏させようとしておられます。大将軍の尊さはいよいよ増すばかり。あなたも拝礼しないわけにはいきますまい」と。しかし汲黯は答えました。「大将軍に、(ひれ伏さず)対等に会釈する客がいるということは、かえって大将軍の格を高めることになるではないか(大將軍有揖客、反不重邪)」と。権勢に媚びるどころか、対等に接することこそ相手の品格を高めるのだ、と言い返したのです。これを聞いた衛青は、腹を立てるどころか、ますます汲黯を優れた人物だと評価し、国家の重要な懸案について、たびたび意見を求め、いっそう厚く遇するようになりました。また、淮南王が謀反を企てたときには、この汲黯を、恐れて警戒しました。「汲黯は直言を好み、節義を守って義のために死をも辞さない。道理に外れたことで惑わすのは難しい(難惑以非)。(それに比べれば)丞相の公孫弘を丸め込むのは、かぶせた覆いを剥ぎ、枯れ葉を払い落とすように簡単なものだ」と。不正を企む者にとって、汲黯のような筋を通す人物は、最も御しがたい、恐るべき存在だったのです。ここに、毅然とした態度の力についての教訓があります。第一に、権勢ある相手にも媚びず、対等に、毅然と接することが、かえって相手からの敬意を生むということ。汲黯が衛青にひれ伏さなかったことで、衛青はむしろ彼を尊敬し、重用した。媚びへつらう者より、筋を通して対等に向き合う者のほうが、真に信頼される。第二に、「揖客有らば反りて重からずや」——優れたリーダー(衛青)は、自分に媚びない、筋の通った部下がいることを、自らの格を高めるものとして歓迎するということ。イエスマンばかりを侍らせる者は、かえって器が知れる。第三に、筋を通し、誘惑や脅しに屈しない人物は、不正を企む者にとって最大の抑止力になるということ(淮南王が汲黯を恐れた)。清廉で揺るがぬ人が組織にいることが、不正の防波堤となる。組織で、権勢ある相手にも媚びず毅然と対等に接すること、媚びない筋の通った部下を歓迎する器を持つこと、そして揺るがぬ人物が不正の抑止力になると知ること——汲黯の毅然さは、媚びない生き方の力を教えます。