史記 / 循吏列伝
客有遺相魚者,相不受。客曰:「聞君嗜魚,遺君魚,何故不受也?」相曰:「以嗜魚,故不受也。今爲相,能自給魚;今受魚而免,誰復給我魚者?吾故不受也。
新字:客有遺相魚者,相不受。客曰:「聞君嗜魚,遺君魚,何故不受也?」相曰:「以嗜魚,故不受也。今為相,能自給魚;今受魚而免,誰復給我魚者?吾故不受也。
書き下し
客に相に魚を遺る者有り、相受けず。客曰く、「君の魚を嗜むを聞き、君に魚を遺る、何の故に受けざるや」と。相曰く、「魚を嗜むを以ての故に、受けざるなり。今相と為り、能く自ら魚を給す。今魚を受けて免ぜられなば、誰か復た我に魚を給する者ぞ。吾故に受けざるなり」と。
現代語訳
ある客が宰相に魚を贈った。宰相は受け取らなかった。客は言った。「あなたが魚を好むと聞いたので、魚をお贈りしたのです。なぜ受け取られないのですか」。宰相は言った。「魚が好きだからこそ、受け取らないのだ。今、私は宰相であり、自分で魚を買うことができる。もし今、魚を受け取って、それで職を免ぜられたら、誰が私に魚を届けてくれるのか。だから受け取らないのだ」。
解説
「目先の贈り物を断ることが、長い目で見れば自分の身を守る——賢い自制の理由」——公儀休が賄賂を退けた、その明快な論理を描いた一段です。宰相・公儀休が魚を好むことを知って、ある客が魚を贈ってきました。ところが公儀休は、これを受け取りません。不思議に思った客が尋ねました。「あなたが魚をお好きだと聞いたので、魚を差し上げるのです。どうしてお受けにならないのですか」と。公儀休は答えました。「まさに魚が好きだからこそ、受け取らないのだ(以嗜魚、故不受也)。考えてもみなさい。今、私は宰相の身だから、自分の俸禄で魚を買い、自分でまかなうことができる。しかし、もし今この魚を受け取って、(賄賂を受けた罪で)宰相を罷免されたら、その後は、いったい誰が私に魚を供給してくれるだろうか。だからこそ、受け取らないのだ」と。目先の一匹の魚に目がくらんで受け取れば、やがて職を失い、大好きな魚さえ手に入らなくなる——その先を見通して、あえて断ったのです。ここに、自制と長期的視点についての教訓があります。第一に、目先の小さな利益(贈り物・便宜)を受け取ることが、長い目で見れば、より大きなもの(地位・信用・自立)を失う原因になりうるということ。公儀休は、一匹の魚を受け取ることの代償が、宰相の地位そのものだと見抜いていた。目先の得は、しばしば長期の損である。第二に、清廉さは、単なる道徳的な建前ではなく、自分の身を守る合理的な選択でもあるということ。公儀休の論理は「清廉であれ」という説教ではなく、「賄賂を受ければ結局自分が損をする」という、極めて実利的な計算だった。誠実さは、長期的には最も割に合う。第三に、自分で正当にまかなえる力(自給の力)があれば、他者の便宜に依存せず、自立と自由を保てるということ。組織や仕事で、目先の小さな利益が長期のより大きなものを失わせないか見通すこと、清廉さを説教でなく身を守る合理的選択と捉えること、そして正当に自らをまかなう力を持って不正な便宜への依存を断つこと——公儀休の魚の逸話は、賢い自制の論理を教えます。
この章句が説くこと
公儀休嗜魚故不受賄賂を断る目先の利が長期の損清廉は身を守る合理的選択誠実さは割に合う
関連する章句
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『臣軌』卷下 廉潔章公儀休、魯の相と為り、公禄を食む者をして下人と利を争うを得ざらしめ、大を受くる者は小を取るを得ざらしむ。客に相に魚を遺る者有り、相受けず。客曰く、「君の魚を嗜むを聞く、故に君に魚を遺る。何の故に受けざるか」と。公儀休曰く、「魚を嗜むを以て、故に受けざるなり。今、相と為りて、能く自ら魚を給す。今、魚を受けて相を免ぜられなば、誰か復た我に魚を給せん者ぞ。吾、故に受けざるなり」と。
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『韓非子』外儲説右下第三十五夫れ即し魚を受くれば、必ず人に下るの色有り。人に下るの色有れば、将に法を枉げんとす。
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『智囊』遠猶・公孫儀公孫儀、魯に相たり、而して魚を嗜む。一国争いて魚を買い之を献ず、公儀子受けず。其の弟諫めて曰く、「夫子は魚を嗜みて受けざるは、何ぞや」と。対えて曰く、「夫れ唯だ魚を嗜む、故に受けざるなり。夫れ既に魚を受くれば、必ず人に下る色有り、将に法を枉げんとす。法を枉ぐれば則ち相を免ぜられ、相を免ぜられれば、魚を嗜むと雖も其れ誰か給せんや。魚を受くること無くして相を免ぜられざれば、魚を受けずと雖も、能く長く自ら魚を給せん」と。此れ人を恃むは自ら恃むに如かざるを明らかにするなり。
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『淮南子』道應訓公儀休 魯に相たりて、魚を嗜む。一國 魚を獻ずるも、公儀子 受けず。其の弟子 諫めて曰く、「夫子 魚を嗜む。受けざるは、何ぞや」と。答えて曰く、「夫れ唯だ魚を嗜む、故に受けざるなり。夫れ魚を受けて相を免ぜらるれば、魚を嗜むと雖も、自ら魚を給する能わず。魚を受くる毋くして相を免ぜられずんば、則ち能く長く自ら魚を給せん」と。此れ人の爲にし己の爲にする者に明らかなるなり。故に老子曰く、「其の身を後にして身 先んじ、其の身を外にして身 存す。其の私無きを以てするに非ずや。故に能く其の私を成す」と。一に曰く、足るを知れば辱められず、と。
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史記 循吏列伝公儀休は、魯の博士なり。高弟を以て魯相と為る。法を奉じ理に循ひ、変更する所無く、百官自ら正し。食祿する者をして下民と利を争ふを得ざらしめ、大を受くる者をして小を取るを得ざらしむ。食茹して美なるや、其の園葵を抜きて之を棄つ。其の家の布を織ること好きを見て、其の家婦を疾出して、其の機を燔き、云ふ、「農士工女をして安くにか其の貨を讎せしめんと欲するか」と。
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『新序』節士第七昔者、魚を鄭の相に餽る者有り。鄭の相受けず。或るひと鄭の相に謂いて曰く、子魚を嗜む。何の故に受けざる、と。對えて曰く、吾魚を嗜むを以て、故に魚を受けず。魚を受くれば祿を失う。以て魚を食らう無し。受けざれば祿を得。身を終うるまで魚を食らわん、と。
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