師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 淮南衡山列伝

孝文十二年,民有作歌歌淮南厲王曰:「一尺布,尚可縫;一斗粟,尚可舂。兄弟二人不能相容。」上聞之,乃嘆曰:「堯舜放逐骨肉,周公殺管蔡,天下稱聖。何者?不以私害公。天下豈以我為貪淮南王地邪?」乃徙城陽王王淮南故地,而追尊謚淮南王為厲王,置園復如諸侯儀。

新字:孝文十二年,民有作歌歌淮南厲王曰:「一尺布,尚可縫;一斗粟,尚可舂。兄弟二人不能相容。」上聞之,乃嘆曰:「堯舜放逐骨肉,周公殺管蔡,天下称聖。何者?不以私害公。天下豈以我為貪淮南王地邪?」乃徙城陽王王淮南故地,而追尊謚淮南王為厲王,置園復如諸侯儀。

書き下し

孝文十二年、民に歌を作して淮南厲王を歌ふ者有りて曰く、「一尺の布も、尚ほ縫ふ可し、一斗の粟も、尚ほ舂く可し。兄弟二人相容るる能はず」と。上之を聞き、乃ち嘆じて曰く、「堯舜は骨肉を放逐し、周公は管蔡を殺すも、天下聖と称す。何者、私を以て公を害せざればなり。天下豈に我を以て淮南王の地を貪ると為すか」と。乃ち城陽王を徙して淮南の故地に王とし、追ひて淮南王に謚して厲王と為し、園を置くこと諸侯の儀のごとくす。

現代語訳

孝文帝十二年、民の中に淮南の厲王を歌う歌を作る者があった。「一尺の布でも、縫って分け合える。一斗の粟でも、搗いて分け合える。それなのに兄弟二人が、互いを容れられなかった」。帝はこれを聞き、嘆いて言った。「堯や舜は肉親を追放し、周公は管叔・蔡叔を殺した。それでも天下は彼らを聖人と称える。なぜか。私情によって公を損なわなかったからだ。天下は、私が淮南王の土地を欲しがったとでも思っているのか」。そこで城陽王を移して淮南の旧領の王とし、淮南王には厲王という諡を追贈し、諸侯の格式どおりに墓所を設けた。

解説

「わずかな物さえ分け合えるのに、人と人が互いを容れられない——関係の断絶は、物の不足より重い」——文帝と弟・淮南厲王の不和を嘆いた、民の歌を描いた一段です。淮南厲王は、文帝の弟でしたが、驕り高ぶって罪を犯し、流刑の途上で死にました。その後、民の間で、こんな歌が作られました。「一尺の布でも、(分ければ)まだ縫い合わせて着られる。一斗の粟でも、(分ければ)まだ搗いて食べられる。それなのに、兄弟二人は、互いを容れることができなかった(一尺布尚可縫、一斗粟尚可舂、兄弟二人不能相容)」と。わずかな布や粟さえ分け合えるのに、実の兄弟でありながら互いを受け入れられなかった——その悲しさを、民が皮肉ったのです。これを聞いた文帝は、深く嘆きました。そして、こう述べます。「堯や舜は、(不適格な)肉親を追放し、周公は(背いた)弟の管叔・蔡叔を誅した。それでも天下は彼らを聖人と称える。なぜか。私情によって公を害さなかったからだ(不以私害公)。世間は、私が淮南王の土地を欲しがって(弟を追い詰めた)と思うのだろうか」と。そして文帝は、弟に厲王という諡を追贈し、諸侯の礼にならって手厚く弔ったのです。ここに、二つの教訓があります。一つは、人間関係の断絶が、物の不足よりも重いということ。わずかな布や粟なら分け合えるのに、実の兄弟が互いを容れられなかった。物質的な問題は分け合えば解決するが、心の断絶は、豊かさでは埋められない。組織でも、資源の不足より、人と人が互いを受け入れられない関係の断絶こそが、深刻な問題となる。もう一つは、私情によって公を害さないこと(不以私害公)。文帝は、肉親の情に流されず、しかし同時に、公のために弟を処断したことを、私利私欲からではないかと自省した。堯舜や周公が聖人とされるのも、私情で公の道理を曲げなかったからだ、と。肉親や親しい者が相手でも、公正な判断を私情で歪めてはならない。組織や家庭で、物の不足より人間関係の断絶こそが深刻だと知ること、わずかなものでも分け合う寛容さで関係を保つこと、そして親しい相手にも私情で公正を歪めないこと——この民の歌と文帝の嘆きは、関係の大切さと公私のけじめを教えます。

この章句が説くこと

淮南厲王一尺布一斗粟兄弟相容れず関係の断絶は物の不足より重い分け合う寛容不以私害公

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる