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史記 / 司馬相如列伝

蓋し明者は未萌に遠見し、智者は無形に危を避く、禍は固より多く隱微に蔵れて人の忽せにする所に発する者なり。故に鄙諺に曰く、家に千金を累ぬれば、堂に垂りて坐せずと。此の言小なりと雖も、以て大を喩す可し。臣願はくは陛下之に留意して幸に察せよ。

新字:蓋し明者は未萌に遠見し、智者は無形に危を避く、禍は固より多く隠微に蔵れて人の忽せにする所に発する者なり。故に鄙諺に曰く、家に千金を累ぬれば、堂に垂りて坐せずと。此の言小なりと雖も、以て大を喩す可し。臣願はくは陛下之に留意して幸に察せよ。

書き下し

蓋し明者は未萌に遠見し、智者は無形に危を避く、禍は固より多く隱微に蔵れて人の忽せにする所に発する者なり。故に鄙諺に曰く、「家に千金を累ぬれば、堂に垂りて坐せず」と。此の言小なりと雖も、以て大を喩す可し。臣願はくは陛下之に留意して幸に察せよ。

現代語訳

「賢い者は、まだ芽も出ぬうちに先を見通し、形をなさぬうちに危険を避ける」——司馬相如が、危険な狩りにふける天子を諫めた上奏の、核心を描いた一段です。天子が、自ら猛獣を追う危険な狩りを好んだとき、司馬相如は、それを諫める上奏文で、深い洞察を述べました。「そもそも、聡明な者は、災いがまだ芽も出さないうちに、はるか先を見通して察知する(明者遠見於未萌)。真に智慧のある者は、危険がまだ形をなさないうちに、それを避ける(智者避危於無形)。というのも、災いというものは、もともと、目立たない些細なところ(隱微)にひそんでいて、人が油断して見過ごしているところ(人之所忽)から、突然に噴き出すものだからだ(禍固多藏於隱微而發於人之所忽者也)」と。そして、ことわざを引きます。「家に千金の富を積むほどの者は、(落下物の危険がある)軒下には坐らない(家累千金、坐不垂堂)」——大切なものを持つ者は、わずかな危険も避けるものだ、と。「この言葉は小さなことを言っているようだが、大きな道理を諭している」と結び、天子に、目先の楽しみのために身を危険にさらさぬよう、慎重を求めたのです。ここに、先見と危機管理についての教訓があります。第一に、賢明な者は、災いがまだ芽も出さないうち、形をなさないうちに、それを見通して避けるということ(明者遠見於未萌、智者避危於無形)。問題が表面化し、誰の目にも明らかになってから対処するのでは遅い。兆しの段階で先を読み、未然に防ぐ先見こそ、真の知恵である。これは、扁鵲が「病が骨髄に至れば手遅れ」と説いたのと、同じ道理です。第二に、災いは、目立つところではなく、些細で目立たないところ(隱微)、人が油断して見過ごすところ(人之所忽)に潜んでいるということ。だから、順調に見えるとき、些細に思えるところにこそ、注意深く目を配る必要がある。第三に、大切なものを持つ者ほど、わずかな危険も軽んじず、慎重であるべきだということ(家累千金、坐不垂堂)。組織や事業で、問題が表面化する前に兆しを見通して未然に防ぐこと、災いが潜む些細で見過ごされがちなところに目を配ること、そして大切なものを守るために慎重さを保つこと——司馬相如の諫言は、先見と予防の知恵を教えます。

解説

あなたは、問題が誰の目にも明らかになってから対処するのではなく、まだ芽も出さないうちに兆しを見通して、未然に防ぐことができていますか?災いが、目立つところではなく、些細で見過ごされがちなところに潜んでいることを意識して、注意深く目を配れていますか?守るべき大切なものがあるときほど、わずかな危険も軽んじず、慎重に振る舞えていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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