史記 / 司馬相如列伝
且つ夫れ王事は固より未だ憂勤に始まりて、佚楽に終はらざる有らざるなり。然れば則ち受命の符、合に此に在り。方に将に泰山の封を増し、梁父の事を加へんとす。観る者未だ指を睹ず、聴く者未だ音を聞かず、猶ほ鷦明已に寥廓に翔けるも、羅する者猶ほ藪沢に視るがごとし。悲しいかな。
書き下し
且つ夫れ王事は固より未だ憂勤に始まりて、佚楽に終はらざる有らざるなり。然れば則ち受命の符、合に此に在り。方に将に泰山の封を増し、梁父の事を加へんとす。観る者未だ指を睹ず、聴く者未だ音を聞かず、猶ほ鷦明已に寥廓に翔けるも、羅する者猶ほ藪沢に視るがごとし。悲しいかな。
現代語訳
「大きな事業は、必ず苦労と気苦労から始まり、やがて安らぎに至る——初期の労苦を覚悟する」——司馬相如が説いた、大事業の道のりの原則を描いた一段です。司馬相如は、こう述べます。「そもそも、王者の大事業というものは、必ず、憂い苦しみ(憂勤)から始まって、安らぎと楽しみ(佚樂)に終わらないものはない(王事固未有不始於憂勤、而終於佚樂者也)」と。どんな偉大な事業も、その始まりは、苦労と気苦労に満ちている。順風満帆で始まる大事業などなく、労苦の時期を経てこそ、やがて実りと安らぎに至る、というのです。さらに彼は、先見の明を持つ者と、持たない者の違いを、鮮やかなたとえで語ります。壮大な事業の意義は、まだ多くの人には見えていない。「その様子を見ようとする者も、まだ、その要点を見て取れない。聴こうとする者も、まだ、その音を聞き取れない。それはちょうど、鷦明(すぐれた霊鳥)が、すでにはるか大空高く飛び去っているのに、鳥を捕らえようとする者が、いまだに(鳥のいない)低い沢地ばかりを探しているようなものだ。ああ、なんと惜しいことか(悲夫)」と。先を見通す者はすでに高い理想に向かって飛翔しているのに、目先しか見ない者は、いつまでも低い次元でうろうろしている——その落差を嘆いたのです。ここに、大事業の道のりについての教訓があります。第一に、大きな事業は、必ず苦労と気苦労から始まるものであり、初期の労苦を覚悟すべきだということ(始於憂勤、終於佚樂)。楽な始まりを期待せず、苦しい立ち上げの時期を耐え抜いてこそ、やがて実りに至る。困難な初期を、事業の当然の一部として受け止める覚悟が要る。第二に、大きな構想の価値は、多くの人にはすぐには見えないということ。先を見通す者と、目先しか見ない者の間には、大きな認識の落差がある。だから、志を高く持つ者は、周囲にすぐ理解されなくとも、たじろがず進む必要がある。第三に、しかし同時に、独りよがりで「皆が分からないだけだ」と済ませる危うさもはらむ——理解されないことが、常に自分が正しい証とは限らない。組織や事業で、大事業は苦労から始まると覚悟し初期の労苦を耐えること、高い構想はすぐには理解されないと知ってたじろがず進むこと、そして同時に独りよがりに陥らぬ謙虚さも保つこと——司馬相如のこの言葉は、大事業に取り組む者の心構えを教えます。