師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 西南夷列伝

當是時,巴蜀四郡通西南夷道,戍轉相馕。數歲,道不通,士罷餓離溼死者甚眾;西南夷又數反,發兵興擊,秏費無功。上患之,使公孫弘往視問焉。還對,言其不便。及弘為御史大夫,是時方筑朔方以據河逐胡,弘因數言西南夷害,可且罷,專力事匈奴。上罷西夷,獨置南夷夜郎兩縣一都尉,稍令犍為自葆就。

新字:当是時,巴蜀四郡通西南夷道,戍転相馕。数歳,道不通,士罷餓離溼死者甚眾;西南夷又数反,発兵興擊,秏費無功。上患之,使公孫弘往視問焉。還対,言其不便。及弘為御史大夫,是時方筑朔方以拠河逐胡,弘因数言西南夷害,可且罷,専力事匈奴。上罷西夷,独置南夷夜郎両県一都尉,稍令犍為自葆就。

書き下し

是の時に当たり、巴蜀四郡西南夷の道を通ず、戍転相ひ馕す。数歳、道通ぜず、士罷れ餓ゑ溼に離りて死する者甚だ衆く、西南夷又数しば反し、兵を発し興撃するも、秏費して功無し。上之を患へ、公孫弘をして往きて視問せしむ。還り対へて、其の不便を言ふ。弘御史大夫と為るに及び、是の時方に朔方を筑きて河に拠り胡を逐ふ、弘因りて数しば西南夷の害を言ひ、「且く罷めて、力を匈奴に事とするに専らにす可し」と。上西夷を罷め、独り南夷夜郎の両県一都尉を置く。

現代語訳

このころ、巴と蜀の四郡が西南夷への道を通し、守備兵への物資輸送が相次いだ。数年たっても道は通じず、兵士は疲れ、飢え、湿気にやられて死ぬ者がたいそう多かった。西南夷もまたたびたび背き、兵を出して討伐したが、費用がかさむばかりで功はなかった。帝はこれを憂え、公孫弘を派遣して視察させた。弘は帰って、それが得策でないと述べた。弘が御史大夫となったころ、ちょうど朔方に城を築き、黄河を拠り所として匈奴を追い払おうとしていた。弘はそこでたびたび西南夷の害を説き、「しばらく中止して、力を匈奴に集中すべきです」と言った。帝は西夷への経営をやめ、南夷の夜郎に二県と一都尉を置くにとどめた。

解説

「成果の出ない事業に固執して資源を浪費せず、勝てる領域に力を集中する」——西南夷開発の泥沼と、公孫弘の「選択と集中」の献策を描いた一段です。漢は、西南夷への道を切り開こうと、巴・蜀の四郡を動員し、兵糧を延々と運ばせる大事業に着手しました。ところが、これが泥沼でした。何年経っても道は開通せず、動員された兵士は、疲れ果て、飢え、湿地の病に倒れて、おびただしい数が命を落とします。しかも西南夷はたびたび反乱を起こし、鎮圧のために兵を出しても、「費用を浪費するばかりで、何の成果もない(秏費而無功)」ありさまでした。皇帝はこれを憂え、公孫弘を派遣して現地を視察させます。公孫弘は帰って「この事業は割に合わない」と報告しました。やがて公孫弘が御史大夫(副宰相)になると、折しも漢は、北方に朔方の城を築いて匈奴を追い払う、より重要な戦略に注力していました。そこで公孫弘は、繰り返し進言します。「西南夷は害ばかりで益がありません。いったん中止して、力を匈奴(の方面)に集中すべきです(且罷、專力事匈奴)」と。皇帝はこれを容れ、割に合わない西夷の開発を打ち切り、最小限の拠点だけを残して、資源を本当に重要な戦略へと振り向けたのです。ここに、選択と集中についての教訓があります。第一に、成果の出ない事業に固執して、資源をいたずらに浪費し続けてはならないということ。西南夷の道は、何年も費用と人命を注ぎ込んでも開通せず「秏費無功」に終わった。うまくいかない事業に、これまで注いだものを惜しんで固執すれば、傷を広げるだけである。第二に、限られた資源(兵力・費用・人材)は、あれもこれもと分散させず、本当に重要で、勝てる領域に集中させるべきだということ(專力事匈奴)。公孫弘は、割に合わない戦線を畳み、力を主戦略に集中せよと説いた。選択と集中こそが、成果を生む。第三に、現場を実際に視察して、割に合うか合わないかを冷静に見極め、退くべきときは退く決断をすること。組織や事業で、成果の出ない事業への固執をやめて損失を止めること、限られた資源を勝てる重要領域に集中させること、そして現場を見極めて退く決断を下すこと——公孫弘の献策は、選択と集中の要諦を教えます。

この章句が説くこと

公孫弘西南夷開発の中止秏費無功成果の出ない事業に固執しない選択と集中専力事匈奴

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる