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史記 / 西南夷列伝

滇王漢の使者と言ひて曰、漢我と孰与れか大なる。夜郎侯に及びても亦た然り。道の通ぜざるを以ての故に、各自ら以て一州の主と為し、漢の広大なるを知らず。使者還り、因りて盛んに滇は大国にして、事へて親附せしむるに足ると言ふ。天子焉に注意す。

書き下し

滇王漢の使者と言ひて曰く、「漢我と孰与れか大なる」と。夜郎侯に及びても亦た然り。道の通ぜざるを以ての故に、各おの自ら以て一州の主と為し、漢の広大なるを知らず。使者還り、因りて盛んに滇は大国にして、事へて親附せしむるに足ると言ふ。天子焉に注意す。

現代語訳

「狭い世界に閉じこもれば、自分の小ささに気づかず、根拠なく自らを大きいと思い込む」——「夜郎自大」の語源となった、有名な一段です。漢の使者が西南の滇(てん)を訪れたとき、滇の王は、こう尋ねました。「漢と我が国とでは、どちらが大きいのか(漢孰與我大)」と。同じことを、夜郎(やろう)の侯もまた問うたといいます。当時、漢帝国は天下を統べる大国であり、滇や夜郎はその一地方の小国にすぎませんでした。それなのに、なぜ彼らは、大真面目に「漢と自国のどちらが大きいか」などと問えたのか。その理由を、司馬遷は明快に記します。「道が通じていなかったために、それぞれが自分こそ一つの地方全体の主だと思い込み、漢がどれほど広大であるかを知らなかった(各自以為一州主、不知漢廣大)」からだ、と。外の世界とのつながりを持たず、狭い世界に閉じこもっていたために、自分の小ささにも、外の世界の大きさにも、まったく気づいていなかったのです。ここから、身の程知らずに自らを大きいと思い込むことを「夜郎自大」と呼ぶようになりました。ここに、自己認識についての教訓があります。第一に、狭い世界に閉じこもっていると、自分の本当の大きさ(小ささ)に気づかず、根拠なく自らを過大評価してしまうということ。滇や夜郎は、外を知らないがゆえに、地方の小国にすぎない自分を「一州の主」と思い込んでいた。外の世界を知らないことが、誤った自己認識を生む。第二に、正しい自己認識のためには、外の広い世界とつながり、自分を相対化して見る視点が欠かせないということ。「道が通じていない」——つまり外部との交流の欠如が、井の中の蛙のような思い込みを生んだ。自社や自分を、より広い基準・市場・世界の中に置いて見ることで、はじめて実像が見える。第三に、根拠のない自己過大評価は、外を知る者から見れば滑稽であり、やがて足元をすくわれるということ。組織や個人で、狭い世界に閉じこもると自分の実像を見失うと知ること、外の広い世界とつながり自分を相対化して見る視点を持つこと、そして根拠のない自己過大評価の危うさを自覚すること——「夜郎自大」の逸話は、正しい自己認識のための視野の大切さを、鋭く教えます。

解説

あなたは、狭い世界や身内の基準だけに閉じこもって、自分や自社の本当の実力・立ち位置を見失っていませんか?外の広い世界(他社・他業界・世界市場)とつながり、自分を相対化して客観的に見る視点を持てていますか?外を知らないがゆえに、根拠なく自らを過大評価してしまう「夜郎自大」に、自分が陥っていないか省みられていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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