史記 / 朝鮮列伝
左將軍已并兩軍,即急擊朝鮮。朝鮮相路人、相韓陰、尼谿相參、將軍王唊相與謀曰:「始欲降樓船,樓船今執,獨左將軍并將,戰益急,恐不能與,王又不肯降。」陰、唊、路人皆亡降漢。路人道死。元封三年夏,尼谿相參乃使人殺朝鮮王右渠來降。王險城未下,故右渠之大臣成巳又反,復攻吏。左將軍使右渠子長降、相路人之子最告諭其民,誅成巳,以故遂定朝鮮,爲四郡。封參爲澅清侯,陰爲荻苴侯,唊爲平州侯,長爲幾侯。最以父死頗有功,爲溫陽侯。 左將軍徵至,坐爭功相嫉,乖計,弃市。樓船將軍亦坐兵至洌口,當待左將軍,擅先縱,失亡多,當誅,贖爲庶人。
新字:左将軍已并両軍,即急擊朝鮮。朝鮮相路人、相韓陰、尼谿相参、将軍王唊相与謀曰:「始欲降楼船,楼船今執,独左将軍并将,戦益急,恐不能与,王又不肯降。」陰、唊、路人皆亡降漢。路人道死。元封三年夏,尼谿相参乃使人殺朝鮮王右渠来降。王険城未下,故右渠之大臣成巳又反,復攻吏。左将軍使右渠子長降、相路人之子最告諭其民,誅成巳,以故遂定朝鮮,為四郡。封参為澅清侯,陰為荻苴侯,唊為平州侯,長為幾侯。最以父死頗有功,為温陽侯。 左将軍徴至,坐争功相嫉,乖計,弃市。楼船将軍亦坐兵至洌口,当待左将軍,擅先縦,失亡多,当誅,贖為庶人。
書き下し
左将軍已に両軍を并せ、即ち急ぎ朝鮮を撃つ。朝鮮の相路人・相韓陰・尼谿相参・将軍王唊相与に謀りて、皆亡げて漢に降る。尼谿相参乃ち人をして朝鮮王右渠を殺して来降せしむ。左将軍徵し至り、功を争ひ相嫉むに坐し、計に乖くに坐して、棄市せらる。樓船将軍も亦た兵洌口に至り、当に左将軍を待つべきに、擅に先づ縦ちて、失亡多きに坐して、当に誅すべきも、贖ひて庶人と為る。
現代語訳
左将軍は二つの軍を合わせると、ただちに朝鮮を急襲した。朝鮮の宰相・路人、宰相・韓陰、尼谿の宰相・参、将軍・王唊が共に謀り、みな逃げて漢に降伏した。尼谿の宰相・参は、人を使って朝鮮王・右渠を殺させ、降ってきた。左将軍は召還され、功を争って同僚を妬み、作戦を食い違わせた罪で、市中で処刑された。楼船将軍もまた、兵が洌口に着いたとき左将軍を待つべきところ、勝手に先に攻撃を仕掛けて損害を多く出した罪で、本来なら死罪であったが、罰金を納めて庶民に落とされた。
解説
「手柄を争って仲間を妬み合えば、たとえ目標を達しても、当人たちは共に罰せられ身を滅ぼす」——朝鮮攻略の結末と、二人の将軍の顛末を描いた一段です。左将軍(荀彘)は、ついに楼船将軍の軍を強引に併合し、朝鮮への攻撃を強めました。追い詰められた朝鮮の内部では、大臣たちが相談して次々と漢に降伏し、ついに大臣の一人が朝鮮王・右渠を殺して降伏したため、朝鮮は平定され、漢の四郡が置かれました。目標そのものは、達成されたのです。しかし——その手柄を担うべき二人の将軍の末路は、悲惨なものでした。左将軍は、都に召還されると、「手柄を争って(楼船将軍を)妬み、作戦を狂わせた罪(爭功相嫉、乖計)」に問われ、市場で処刑されました。もう一人の楼船将軍も、軍が洌口に着いたとき、本来なら左将軍を待って共同で動くべきなのに、勝手に先走って攻撃し、多くの兵を失った罪で、死罪に相当するとされ、罪を贖って庶民に落とされました。朝鮮という共通の敵は倒したのに、その手柄を争い合った二人の将軍は、そろって身を滅ぼしたのです。ここに、内部の争いについての教訓があります。第一に、手柄を争って仲間を妬み合えば、たとえ目標そのものは達成できても、当人たちは共に罰せられ、身を滅ぼすということ。二人の将軍は、朝鮮を倒しはしたが、その過程で協力を欠き、争い、妬み合った結果、栄誉どころか処罰を受けた。功名争いに勝者はいない。第二に、共同で動くべき場面で、勝手に先走ること(擅先縱)の危うさ。楼船将軍は、連携を待たず独断で動いて大損害を出した。チームプレーを乱す独断専行は、成果を損ない、責任を問われる。第三に、成果を上げることと、その過程で組織の和を保つことは、両方が問われるということ。目標を達成しても、内部を分裂させたやり方は評価されない。組織で、手柄を争って仲間を妬み合えば当人も身を滅ぼすと知ること、共同で動くべき場面での独断専行の危うさを自覚すること、そして成果とともに過程での協調も問われると理解すること——二人の将軍の顛末は、内部の功名争いが招く自滅を教えます。
この章句が説くこと
朝鮮平定両将の処罰争功相嫉手柄争いの自滅擅先縦独断専行の危うさ
この一句を、あなたの毎日に。
古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。
師導で古典を学ぶ