史記 / 東越列伝
餘善已殺郢,威行於國,國民多屬,竊自立為王。繇王不能矯其眾持正。天子聞之,為餘善不足復興師,曰:「餘善數與郢謀亂,而後首誅郢,師得不勞。」因立餘善為東越王,與繇王并處。 至元鼎五年,南越反,東越王餘善上書,請以卒八千人從樓船將軍擊呂嘉等。兵至揭揚,以海風波為解,不行,持兩端,陰使南越。及漢破番禺,不至。
新字:余善已殺郢,威行於国,国民多属,窃自立為王。繇王不能矯其衆持正。天子聞之,為余善不足復興師,曰:「余善数与郢謀乱,而後首誅郢,師得不労。」因立余善為東越王,与繇王并処。 至元鼎五年,南越反,東越王余善上書,請以卒八千人従楼船将軍撃呂嘉等。兵至掲揚,以海風波為解,不行,持両端,陰使南越。及漢破番禺,不至。
書き下し
餘善已に郢を殺し、威国に行はれ、国民多く属し、竊かに自立して王と為る。繇王其の衆を矯めて正を持する能はず。天子聞きて、餘善を復た師を興すに足らずと為し、因りて餘善を立てて東越王と為し、繇王と并び処らしむ。元鼎五年に至り、南越反す、東越王餘善上書し、卒八千人を以て楼船将軍に従ひて呂嘉等を撃たんことを請ふ。兵揭揚に至り、海の風波を以て解と為し、行かず、両端を持し、陰かに南越に使ひす。漢の番禺を破るに及び、至らず。
現代語訳
餘善は郢を殺すと、その威勢は国中に行き渡り、国民の多くが彼に付き従い、ひそかに自ら立って王となった。繇王は、民衆をまとめて正統を保つことができなかった。天子はこれを聞き、餘善のために改めて軍を起こすまでもないと考え、餘善を立てて東越王とし、繇王と並び立たせた。元鼎五年、南越が反乱を起こすと、東越王・餘善は上書して、兵八千人を率いて楼船将軍に従い、呂嘉らを討ちたいと願い出た。しかし兵が揭揚まで来たところで、海が荒れているのを口実に進まず、態度をあいまいにして、ひそかに南越へ使者を送っていた。漢が番禺を陥落させたときも、餘善は到着しなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 東越列伝是の時楼船将軍楊僕使ひをして上書せしめ、便ち兵を引きて東越を撃たんことを願ふ。上士卒労倦すと曰ひ、許さず、兵を罷め、諸校をして豫章の梅領に屯して命を待たしむ。元鼎六年秋、余善楼船の之を誅せんことを請ひ、漢兵境に臨み、且に往かんとするを聞き、乃ち遂に反し、兵を発して漢の道を距ぐ。将軍騶力等を号して「呑漢将軍」と為し、白沙・武林・梅嶺に入り、漢の三校尉を殺す。是の時漢大農張成・故の山州侯歯をして将として屯せしむるも、敢て撃たず、却きて便処に就く、皆畏懦に坐して誅せらる。
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史記 東越列伝余善「武帝」の璽を刻して自立し、其の民を詐り、妄言を為す。天子横海将軍韓説を遣はし句章に出で、海に浮かびて東方より往かしむ。楼船将軍楊僕は武林に出で、中尉王温舒は梅嶺に出で、越侯は戈船・下瀬将軍と為り、若邪・白沙に出づ。元封元年冬、咸東越に入る。東越素より兵を発して険を距ぎ、徇北将軍をして武林を守らしめ、楼船軍の数校尉を敗り、長吏を殺す。楼船将軍の率ゐる銭唐の轅終古徇北将軍を斬り、御児侯と為る。自ら兵未だ往かず。故の越衍侯呉陽前に漢に在り、漢帰りて余善を諭さしむるも、余善聴かず。横海将軍先づ至るに及び、越衍侯呉陽其の邑の七百人を以て反し、越軍を漢陽に攻む。建成侯敖に従ひ、其の率と与に、繇王居股に従ひて謀りて曰く、「余善は首悪なり、吾が属を劫守す。
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史記 東越列伝今漢兵至り、衆彊し、計るに余善を殺し、自ら諸将に帰せば、儻いは幸ひに脱るるを得ん」と。乃ち遂に倶に余善を殺し、其の衆を以て横海将軍に降る、故に繇王居股を封じて東成侯と為し、万戸。建成侯敖を封じて開陵侯と為す。越衍侯呉陽を封じて北石侯と為す。横海将軍説を封じて案道侯と為す。横海校尉福を封じて繚嫈侯と為す。福は、成陽共王の子にして、故海常侯為り、法に坐して侯を失ふ。旧軍に従ひて功無きも、宗室を以ての故に侯たり。諸将皆成功無く、封ぜらるる莫し。東越の将多軍、漢兵至るや、其の軍を棄てて降り、封じて無錫侯と為る。是に於て天子曰く、東越は狭くして阻多く、閩越は悍にして、数々反覆すと、軍吏に詔して皆其の民を将ゐて江淮の間に徙り処らしむ。東越の地遂に虚し。
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史記 東越列伝建元六年に至り、閩越南越を撃つ。南越天子の約を守り、敢て擅に兵を発して撃たずして以て聞す。上大行王恢を遣り豫章より出で、大農韓安国会稽より出で、皆将軍と為す。兵未だ嶺を踰えざるに、閩越王郢兵を発して険を距つ。其の弟餘善乃ち相・宗族と謀りて曰く、「王擅に兵を発して南越を撃ち、請はず、故に天子の兵来たりて誅す。今漢兵衆彊なり。今王を殺して以て天子に謝せん。天子聴かば、兵を罷め、固より一国完し」と。皆「善し」と曰ふ。即ち王を鏦殺し、使をして其の頭を奉じて大行に致さしむ。大行曰く、「来たる所以の者は王を誅するなり。今王の頭至り、謝罪す、戦はずして耘る、利焉より大なるは莫し」と。
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史記 東越列伝乃ち便宜を以て兵を案じて大農の軍に告げ、而して使ひをして王の頭を奉じて馳せて天子に報ぜしむ。詔して両将の兵を罷め、曰く、「郢等は首悪なり、独り無諸の孫繇君丑は謀に与らず」と。乃ち郎中将をして丑を立てて越繇王と為し、閩越の先の祭祀を奉ぜしむ。
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史記 東越列伝閩越王無諸及び越の東海王揺は、其の先皆越王句践の後なり、姓は騶氏。秦已に天下を并せ、皆廃して君長と為し、其の地を以て閩中郡と為す。諸侯秦に畔くに及び、無諸・揺越を率ゐて鄱陽の令呉芮に帰す、所謂鄱君なる者なり、諸侯に従ひて秦を滅ぼす。是の時に当たり、項籍命を主る、王とせず、故を以て楚に附かず。漢項籍を撃つや、無諸・揺越人を率ゐて漢を佐く。漢の五年、復た無諸を立てて閩越王と為し、閩中の故地に王とし、東冶に都せしむ。孝恵の三年、高帝の時の越の功を挙げ、曰く閩君揺は功多く、其の民便附すと、乃ち揺を立てて東海王と為し、東甌に都せしむ、世俗号して東甌王と為す。後数世、孝景の三年に至り、呉王濞反し、閩越を従へんと欲す、閩越未だ行くを肯ぜず、独り東甌呉に従ふ。呉破るるに及び、東甌漢の購を受け、呉王を丹徒に殺す、故を以て皆誅せられざるを得て、国に帰る。呉王の子子駒亡げて閩越に走り、東甌の其の父を殺すを怨み、常に閩越に東甌を撃たんことを勧む。
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