史記 / 南越列伝
孝文帝元年、初めて天下を鎮撫す。乃ち佗の親冢の真定に在るが為に、守邑を置き、歳時奉祀す。其の従昆弟を召し、官を尊くし賜を厚くして之を寵す。乃ち陸賈を召して以て太中大夫と為し、往きて使ひせしむ。陸賈南越に至るや、王甚だ恐れ、書を為りて謝す。乃ち頓首謝し、長く藩臣為り、貢職を奉ぜんことを願ふ。是に於て乃ち国中に令を下して曰、吾聞く両雄は俱には立たず、両賢は世を并せずと。皇帝は賢天子なり。今より以後、帝制黄屋左纛を去らんと。陸賈還りて報じ、孝文帝大いに説ぶ。
書き下し
孝文帝元年、初めて天下を鎮撫す。乃ち佗の親冢の真定に在るが為に、守邑を置き、歳時奉祀す。其の従昆弟を召し、官を尊くし賜を厚くして之を寵す。乃ち陸賈を召して以て太中大夫と為し、往きて使ひせしむ。陸賈南越に至るや、王甚だ恐れ、書を為りて謝す。乃ち頓首謝し、長く藩臣為り、貢職を奉ぜんことを願ふ。是に於て乃ち国中に令を下して曰く、「吾聞く両雄は俱には立たず、両賢は世を并せずと。皇帝は賢天子なり。今より以後、帝制黄屋左纛を去らん」と。陸賈還りて報じ、孝文帝大いに説ぶ。
現代語訳
「武力で屈服させられなかった相手を、敬意と誠意によって心から従わせる」——文帝が南越の趙佗を懐柔した、鮮やかな一手を描いた一段です。前の時代(高后)が力ずくで南越を抑えつけようとして失敗したのに対し、文帝はまったく逆の道を選びました。即位して天下を安んじるにあたり、文帝は、趙佗の一族の墓が故郷の真定にあることを知ると、そこに墓守の集落を置き、季節ごとに手厚く祭りを行わせました。さらに、趙佗のいとこたちを都に召して、高い官位を与え、厚く恩賞を施して優遇したのです。そのうえで、かつて高祖の時代に南越へ使いをした経験のある陸賈を、再び使者として派遣しました。相手の先祖を敬い、一族を厚遇し、旧知の使者を送る——この誠意ある対応に、趙佗の態度は一変します。陸賈が南越に至ると、王(趙佗)はすっかり恐れ入り、詫びの手紙を書き、地に頭をつけて謝罪し、「末長く藩臣(臣下の諸侯)として、貢ぎ物を捧げます」と申し出たのです。そして国中に布告しました。「二人の英雄は並び立たず、二人の賢者は同じ世に君臨しないと聞く。漢の皇帝は賢明な天子である。今後は、(僭称していた)皇帝の位や、天子だけに許された装飾を、いっさい取りやめる」と。報告を受けた文帝は、大いに喜びました。武力で越えられなかった山を、敬意と誠意が越えたのです。ここに、人を従わせる方法についての教訓があります。第一に、力で屈服させられなかった相手を、敬意と誠意によって、心から従わせられるということ。高后の武力討伐は失敗したが、文帝の懐柔は成功した。相手の先祖を敬い、一族を厚遇するという誠意が、趙佗の心を動かした。強制ではなく、相手を敬う姿勢こそが、真の服従を生む。第二に、相手の面子や誇りを立てながら、実を得ること。文帝は、趙佗を追い詰めて屈辱を与えるのではなく、敬意を示して自発的に帝号を捨てさせた。相手が自ら退く道を用意する巧みさ。第三に、目先の力の誇示より、長期の信頼関係を築くほうが、結局は大きな成果を生むということ。組織や交渉で、力でなく敬意と誠意で人の心を動かすこと、相手の面子や誇りを立てながら実を得ること、そして強制でなく相手が自発的に従う道を用意すること——文帝の懐柔策は、人を心から従わせる知恵を、前段の高后の失敗と対照的に教えます。