史記 / 平津侯主父列伝
大臣皆畏其口,賂遺累千金。人或說偃曰:「太橫矣。」主父曰:「臣結髮游學四十餘年,身不得遂,親不以爲子,昆弟不收,賓客弃我,我阸日久矣。且丈夫生不五鼎食,死即五鼎烹耳。吾日暮途遠,故倒行暴施之。
新字:大臣皆畏其口,賂遺累千金。人或説偃曰:「太横矣。」主父曰:「臣結髪游学四十余年,身不得遂,親不以為子,昆弟不収,賓客弃我,我阸日久矣。且丈夫生不五鼎食,死即五鼎烹耳。吾日暮途遠,故倒行暴施之。
書き下し
人或いは偃に説きて曰く、「太だ横なり」と。主父曰く、「臣結髪して游学すること四十餘年、身遂ぐるを得ず、親も子と以為さず、昆弟も収めず、賓客も我を棄つ、我阸すること日久し。且つ丈夫生きて五鼎に食らはずんば、死して即ち五鼎に烹らるるのみ。吾日暮れて途遠し、故に倒行して暴施するなり」と。大臣皆其の口を畏れ、賂遺累千金。
現代語訳
ある人が主父偃に説いて言った。「あなたは横暴すぎる」。主父は言った。「私は元服して遊学すること四十余年、志を遂げられず、親も子と認めず、兄弟も引き取らず、賓客も私を見捨てた。困窮した日々は長かった。それに男子たるもの、生きて五つの鼎を並べて食えなければ、死んで五つの鼎で煮られるまでのことだ。私は日が暮れかけているのに道はまだ遠い。だから道理を逆さまにしてでも、荒っぽくやるのだ」。大臣たちはみな彼の口を恐れ、贈った賄賂は千金を重ねた。
解説
「不遇の末に得た権勢を、焦りから乱暴に振るえば、栄華は一時、破滅を招く」——長い雌伏の末に権力を握った主父偃の、危うい野心を描いた一段です。主父偃は、四十年以上も諸国を遊学しながら、まったく世に用いられず、不遇をかこっていました。親からも子と思われず、兄弟からも見放され、食客仲間にも見捨てられ、困窮の日々が長く続いたのです。ところが晩年、皇帝に認められると、一転して権勢を握ります。すると彼は、恨みを晴らすかのように、権力を乱暴に振るい始めました。ある人が「あなたはあまりに横暴だ(太橫矣)」と忠告すると、主父偃はこう答えます。「私は、髪を結い上げてから四十年以上も遊学したが、身は立たず、親兄弟にも賓客にも見捨てられ、長く困窮してきた。男子たる者、生きて五つの鼎を並べた豪華な食事にありつけないなら、死ぬときに五つの鼎で煮殺されても構わない(丈夫生不五鼎食、死即五鼎烹耳)。私はもう日が暮れて道は遠い。だから、順序を無視してでも、なりふり構わず(倒行暴施)事を進めるのだ」と。長年の不遇の反動から、破滅も覚悟のうえで、焦って権勢を乱用したのです。大臣たちは皆、彼の舌鋒を恐れ、賄賂が千金と積み上がりました。しかし——なりふり構わぬこのやり方は、やがて多くの敵を作り、主父偃は一族もろとも処刑される最期を迎えます。栄華は、まさに一時のものでした。ここに、権勢の扱いについての教訓があります。第一に、不遇の末にようやく得た力や地位を、恨みや焦りから乱暴に振るえば、必ず身を滅ぼすということ。主父偃は、長年の鬱憤を晴らすように権力を乱用し、多くの敵を作った。過去の不遇の反動で、力を私的な報復や誇示に使えば、破滅を招く。第二に、「生不五鼎食、死即五鼎烹」——豪華な栄達か、さもなくば破滅か、という極端で刹那的な野心の危うさ。着実さを捨て、一か八かの生き方に走れば、たとえ一時栄えても、長続きはしない。第三に、権勢を得たときこそ、焦らず、驕らず、慎み深く振る舞うべきだということ。「太横(あまりに横暴)」と忠告してくれる声に、耳を傾けるべきだった。組織や人生で、苦労の末に得た力を恨みや焦りで乱用しないこと、極端で刹那的な野心の危うさを知ること、そして力を得たときこそ慎み深く忠告に耳を傾けること——主父偃の栄光と破滅は、権勢を扱う者への痛切な戒めを教えます。

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主父偃五鼎食五鼎烹不遇の反動権勢の乱用倒行暴施太横
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