史記 / 衛将軍驃騎列伝
太史公曰、蘇建余に語りて曰、吾嘗て大将軍の至って尊重にして、天下の賢大夫の称する毋きを責め、願はくは将軍古の名将の招選する所の賢者を観て、之を勉めよと。大将軍謝して曰、魏其・武安の賓客を厚くせしより、天子常に歯を切す。彼の士大夫に親附し、賢を招き不肖を絀くるは、人主の柄なり。人臣は法を奉じ職を遵ふのみ、何ぞ士を招くに与らんと。驃騎も亦た此の意に放ふ、其の将たること此くのごとし。
書き下し
太史公曰く、蘇建余に語りて曰く、「吾嘗て大将軍の至って尊重にして、天下の賢大夫の称する毋きを責め、願はくは将軍古の名将の招選する所の賢者を観て、之を勉めよと(言へり)。大将軍謝して曰く、『魏其・武安の賓客を厚くせしより、天子常に歯を切す。彼の士大夫に親附し、賢を招き不肖を絀くるは、人主の柄なり。人臣は法を奉じ職を遵ふのみ、何ぞ士を招くに与らんや』と」と。驃騎も亦た此の意に放ふ、其の将たること此くのごとし。
現代語訳
「自分の分をわきまえ、上位者の権限を侵さない——過剰な力の誇示を避ける賢明さ」——衛青が、なぜ人材を集めなかったかを語る、この篇の結びです。司馬遷は、蘇建から聞いた話として、衛青の処世哲学を記します。蘇建はかつて、大将軍・衛青にこう進言したことがありました。「あなたは最高の地位にありながら、天下の賢明な人士から慕われ称賛されることがありません。どうか、古の名将たちが優れた人材を招き選んだように、あなたも賢者を集めるよう努めてください」と。しかし衛青は、これを辞退してこう答えたのです。「かつて魏其侯(竇嬰)や武安侯(田蚡)が盛んに食客を抱えたとき、皇帝はいつもそれを苦々しく思い、歯ぎしりしておられた。士大夫を手なずけ、賢者を招き、愚者を退ける——これは、本来、君主の権限(人主之柄)なのだ。臣下たる者は、ただ法を守り、自分の職務を忠実に果たすだけでよい。どうして、(君主の領分である)人材集めに関わろうか」と。若い霍去病も、この叔父の考え方に倣いました。二人の将軍の身の処し方は、このようなものだったのです。かつて我々が見た魏其武安侯の悲劇——竇嬰と田蚡が権勢を争い、共に破滅した——を思えば、衛青のこの慎みは、深い教訓を含んでいます。ここに、分をわきまえることについての教訓があります。第一に、自分の立場・分をわきまえ、上位者の権限(領分)を侵さないこと。衛青は、人材登用が「君主の権限」であると見極め、たとえ賢者を集める力があっても、あえてそれをしなかった。臣下が、君主の領分にまで手を伸ばして個人的な勢力を築けば、必ず疑われ、身を危うくする。第二に、力を持つ者ほど、その力を誇示せず、慎み深く抑制することが、かえって身を守るということ。魏其・武安が食客を抱えて権勢を誇り破滅したのに対し、衛青は「法を奉じ職を遵ふのみ」と、自らの職務に徹した。過剰な力の誇示を避ける自制が、長く立場を保つ知恵となる。第三に、ただし、この処世には批判の余地もあること——司馬遷は、賢者を推挙しなかった衛青を、必ずしも全面的に称賛してはいない。保身に徹して人材を世に活かさなかった面もある。分をわきまえることと、責任を果たすことの兼ね合いは、難しい。組織で、自分の分をわきまえ上位者の領分を侵さないこと、力を誇示せず慎み深く抑制することで身を守ること、そして同時に保身に偏りすぎず果たすべき責任も忘れないこと——衛青の処世は、力を持つ者の身の処し方の難しさを、深く教えます。