史記 / 衛将軍驃騎列伝
太史公曰:蘇建語余曰:「吾嘗責大將軍至尊重,而天下之賢大夫毋稱焉,願將軍觀古名將所招選擇賢者,勉之哉。大將軍謝曰:『自魏其、武安之厚賓客,天子常切齒。彼親附士大夫,招賢絀不肖者,人主之柄也。人臣奉法遵職而已,何與招士!』」驃騎亦放此意,其為將如此。
新字:太史公曰:蘇建語余曰:「吾嘗責大将軍至尊重,而天下之賢大夫毋称焉,願将軍観古名将所招選択賢者,勉之哉。大将軍謝曰:『自魏其、武安之厚賓客,天子常切歯。彼親附士大夫,招賢絀不肖者,人主之柄也。人臣奉法遵職而已,何与招士!』」驃騎亦放此意,其為将如此。
書き下し
太史公曰く、蘇建余に語りて曰く、「吾嘗て大将軍の至って尊重にして、天下の賢大夫の称する毋きを責め、願はくは将軍古の名将の招選する所の賢者を観て、之を勉めよと(言へり)。大将軍謝して曰く、『魏其・武安の賓客を厚くせしより、天子常に歯を切す。彼の士大夫に親附し、賢を招き不肖を絀くるは、人主の柄なり。人臣は法を奉じ職を遵ふのみ、何ぞ士を招くに与らんや』と」と。驃騎も亦た此の意に放ふ、其の将たること此くのごとし。
現代語訳
太史公は言う。「蘇建が私に語った。『私はかつて大将軍に、これほど尊く重んじられているのに、天下の賢い大夫たちが称える声がないと申し上げ、どうか将軍はいにしえの名将が賢者を招き選んだのに倣って、それに努めてくださいと言った。すると大将軍は断って言った。「魏其侯や武安侯が賓客を厚遇して以来、天子はいつも歯ぎしりしておられる。士大夫を手なずけ、賢者を招き、劣った者を退けるのは、君主の権限だ。臣下は法を奉じ、職務を守るだけのこと。どうして士を招くことに関わろうか」と』。驃騎将軍もまた、この考えに倣った。彼らの将としてのありようは、こうしたものであった」。
解説
この章句が説くこと
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史記 衛将軍驃騎列伝然れども少くして侍中たり、貴くして、士を省みず。其の軍に従ふや、天子為に太官をして数十乗を齎らしむ。既に還るに、重車に粱肉を余し棄つ。而して士に饑うる者有り。其の塞外に在るや、卒糧に乏しく、或いは自ら振るふ能はず。而るに驃騎は尚ほ域を穿ちて蹋鞠す。事此の類多し。大将軍の人と為りは仁善退譲にして、和柔を以て自ら上に媚ぶ。然れども天下未だ称する有らざるなり。驃騎将軍は四年の軍より後三年、
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『智囊』見大・劉溫叟・衛青・程信開宝三年、劉温叟、御史中丞たり。一日、晩に明徳門を過ぐるに、帝は方に黄門数人と楼に登る。温叟これを知り、伝呼して常に依りて過ぎしむ。翌日、対を請いて言う、「人主、時に非ずして楼に登らば、則ち下は必ず恩賞を希望す。臣の呵道して過ぎし所以は、衆に陛下の時に非ざれば楼に登らざることを示さんと欲すればなり」と。帝これを善しとす。大将軍の青、兵を定襄に出す。蘇建・趙信は軍を並べて三千余騎、独り単于の兵に逢う。戦うこと一日、兵且に尽きんとして、信は単于に降り、建は独身にて青に帰す。議郎の周霸曰く、「大将軍の出でてより、未だ嘗て裨将を斬らず。今、建、軍を棄つ。斬りて以て将軍の威を明らかにすべし」と。長史の安曰く、「然らず。建は数千の卒を以て虜の数万に当たり、力戦すること一日、士は皆な敢えて二心有らず。自ら帰りてこれを斬らば、是れ後に反意無きを示すなり。斬るべからず」と。青曰く、「青は肺腑を以て罪を行間に待つ。威無きを患えず。而るに霸は我に説くに威を明らかにするを以てす。甚だ臣の意を失う。且つ臣の職は斬将に当たると雖も、臣の尊寵を以てして敢えて境外に専誅せず。その天子に帰して、天子自ずからこれを裁せば、以て人臣為る者の敢えて専権せざるに風するに、亦た可ならずや」と。遂に建を囚えて行在に詣らしむ。天子は果たして赦して誅せず。〔馮述評〕衛青、兵を握ること数載、寵任は比び無きも、上は疑わず、下は忌まざるは、唯だ能く権を避け嫌いを遠ざくるが故なり。然らずんば、狄枢使の功名を以てすと雖も、猶お令終を克くせず。戒めざるべけんや。
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史記 衛将軍驃騎列伝青侯家の人と為り、少き時其の父に帰す、其の父青をして羊を牧せしむ。先母の子皆之を奴畜し、以て兄弟の数と為さず。青嘗て従ひて入りて甘泉の居室に至るに、一鉗徒有り青を相して曰く、「貴人なり、官封侯に至らん」と。青笑ひて曰く、「人奴の生、笞罵せらるる毋きを得れば即ち足れり、安くんぞ封侯の事を得んや」と。
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史記 衛将軍驃騎列伝其の秋、匈奴代に入り、都尉朱英を殺す。其の明年春、大将軍青定襄より出づ。合騎侯敖中将軍と為り、太僕賀左将軍と為り、翕侯趙信前将軍と為り、衛尉蘇建右将軍と為り、郎中令李広後将軍と為り、右内史李沮彊弩将軍と為り、咸大将軍に属し、首を斬ること数千級にして還る。月余にして、悉く復た定襄より出でて匈奴を撃ち、首虜を斬ること万余人。右将軍建・前将軍信軍を并すること三千余騎、独り単于の兵に逢ひ、与に戦ふこと一日余、漢の兵且に尽きんとす。前将軍は故の胡人にして、降りて翕侯と為る。急なるを見て、匈奴之を誘ふ。遂に其の余騎八百可りを将ゐて、奔りて単于に降る。右将軍蘇建尽く其の軍を亡ひ、独り身を以て亡げ去るを得て、自ら大将軍に帰る。大将軍其の罪を正閎・長史安・議郎周霸等に問ふ、「建は当に云何すべき」と。霸曰く、「大将軍の出でしより、未だ嘗て裨将を斬らず。今建軍を棄つ。斬りて以て将軍の威を明らかにすべし」と。閎・安曰く、「然らず。兵法に『小敵の堅は、大敵の禽なり』と。今建は数千を以て単于の数万に当たり、力戦すること一日余、士尽くるも、敢へて二心有らず、自ら帰る。自ら帰りて之を斬るは、是れ後に反る意無からしむるを示すなり。当に斬るべからず」と。大将軍曰く、「青幸ひに肺腑を以て罪を行間に待つを得たり。威無きを患へず。而るに霸我に説くに威を明らかにするを以てするは、甚だ臣の意を失ふ。且つ臣の職をして将を斬るに当たると雖も、臣の尊寵を以てして敢へて自ら擅に誅を境外に専らにせず、而して具に天子に帰し、天子自ら之を裁かば、是に於て以て人臣為りて敢へて権を専らにせざるを見す。亦可ならずや」と。軍吏皆曰く「善し」と。遂に建を囚へて行在所に詣る。塞に入りて兵を罷む。是の歳や、大将軍の姊の子霍去病年十八、幸せられて、天子の侍中と為る。
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『長短経』是非尸子に曰く「人臣なる者は、賢を進むるを以て功と為す。人主なる者は、賢を用うるを以て功と為すなり」と。史記に曰く「鮑叔、管仲を挙ぐ。天下は管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とするなり」と。〔非に曰く〕蘇建、常に大将軍衛青を責めて曰く「至って尊重なるも、天下の賢士大夫、称する無し。願わくは古今の名将の招き選び択ぶ所の賢者を観んことを」と。大将軍謝して曰く「魏其・武安の賓客を厚くするより、天子嘗て歯を切す。彼の士大夫に親附し、賢を招き不肖を黜くるは、人主の柄なり。人臣は法を奉じ職に遵うのみ。何ぞ士を招くに与らんや」と。其の将たること此くの如し。
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