史記 / 衛将軍驃騎列伝
青為侯家人,少時歸其父,其父使牧羊。先母之子皆奴畜之,不以為兄弟數。青嘗從入至甘泉居室,有一鉗徒相青曰:「貴人也,官至封侯。」青笑曰:「人奴之生,得毋笞罵即足矣,安得封侯事乎!
新字:青為侯家人,少時帰其父,其父使牧羊。先母之子皆奴畜之,不以為兄弟数。青嘗従入至甘泉居室,有一鉗徒相青曰:「貴人也,官至封侯。」青笑曰:「人奴之生,得毋笞罵即足矣,安得封侯事乎!
書き下し
青侯家の人と為り、少き時其の父に帰す、其の父青をして羊を牧せしむ。先母の子皆之を奴畜し、以て兄弟の数と為さず。青嘗て従ひて入りて甘泉の居室に至るに、一鉗徒有り青を相して曰く、「貴人なり、官封侯に至らん」と。青笑ひて曰く、「人奴の生、笞罵せらるる毋きを得れば即ち足れり、安くんぞ封侯の事を得んや」と。
現代語訳
衛青は侯の家の使用人の子として生まれ、若いころ父のもとに引き取られた。その父は青に羊を飼わせた。先妻の子たちはみな彼を奴隷のように扱い、兄弟の数にも入れなかった。青はあるとき人に従って甘泉宮の獄舎まで行ったところ、首枷をつけた囚人の一人が青の人相を見て言った。「貴人になる相だ。官位は諸侯に封じられるところまで至るだろう」。青は笑って言った。「奴隷の身に生まれた者は、鞭打たれず罵られずにいられれば、それで十分だ。どうして諸侯に封じられるなどということがあろうか」。
解説
「低い出自から身を起こしても、驕ることなく地に足のついた謙虚さを保つ」——後に大将軍となる衛青の、卑しい生い立ちを描いた一段です。衛青は、身分の低い家の生まれでした。幼い頃に父のもとへ引き取られると、父は彼に羊の番をさせます。父の正妻の子たちは、衛青を兄弟として扱わず、まるで奴隷のようにこき使いました。あるとき、衛青が召使いとして甘泉の役所に行くと、そこにいた首かせをはめられた囚人が、衛青の人相を見てこう言いました。「あなたは貴人だ。いずれ官位が上がって、封侯(諸侯に封じられる高位)にまで至るだろう」と。すると衛青は笑って答えました。「奴隷の身に生まれた者が、鞭で打たれたり罵られたりせずにいられれば、それで十分。どうして諸侯に封じられるなどということが、あるものか」と。後に大将軍にまで上りつめる人物が、若い頃は、自分の境遇をわきまえ、身の程を超えた望みを抱かず、ただ地道に生きようとしていたのです。ここに、立志と謙虚さについての教訓があります。第一に、どんなに低い出自や不遇な境遇からでも、人は身を起こしうるということ。奴隷同然に扱われた羊飼いの少年が、後に一国の大将軍となった。今の境遇が、その人の限界を決めるのではない。第二に、しかし、その衛青が示したのは、身の程をわきまえた謙虚さだったということ。彼は、囚人の予言に舞い上がることなく、「鞭打たれずにいられれば十分」と、地に足のついた現実を見ていた。大言壮語や身の程を超えた野心ではなく、目の前の境遇を誠実に生きる姿勢。第三に、この若い頃の謙虚さが、後に高位に上っても驕らぬ人柄の土台となったこと。組織や人生で、今の境遇に限界を定めず身を起こしうると信じること、同時に身の程をわきまえた謙虚さを保つこと、そして地道な誠実さこそが後の成長の土台になると知ること——衛青の生い立ちは、志と謙虚さの両立を教えます。
この章句が説くこと
衛青羊飼いから大将軍へ低い出自から身を起こす謙虚身の程をわきまえる地道な誠実さ
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