史記 / 匈奴列伝
太史公曰、孔氏春秋を著すに、隱桓の閒は則ち章かに、定哀の際に至れば則ち微なり、其の当世に切なるの文にして褒を罔く、忌諱の辞なるが為なり。世俗の匈奴を言ふ者、其の一時の権を徼むるを患へ、而して莖讇して其の說を納るるを務め、以て偏指に便にし、彼己を参せず。将率中国の広大なるに席り、気奮ひ、人主因りて以て策を決す、是を以て功を建つること深からず。堯賢なりと雖も、事業を興して成らず、禹を得て九州寧し。且つ聖統を興さんと欲せば、唯だ将相を択任するに在るかな。唯だ将相を択任するに在るかな。
新字:太史公曰、孔氏春秋を著すに、隠桓の閒は則ち章かに、定哀の際に至れば則ち微なり、其の当世に切なるの文にして褒を罔く、忌諱の辞なるが為なり。世俗の匈奴を言ふ者、其の一時の権を徼むるを患へ、而して茎讇して其の説を納るるを務め、以て偏指に便にし、彼己を参せず。将率中国の広大なるに席り、気奮ひ、人主因りて以て策を決す、是を以て功を建つること深からず。堯賢なりと雖も、事業を興して成らず、禹を得て九州寧し。且つ聖統を興さんと欲せば、唯だ将相を択任するに在るかな。唯だ将相を択任するに在るかな。
書き下し
太史公曰く、孔氏春秋を著すに、隱桓の閒は則ち章かに、定哀の際に至れば則ち微なり、其の当世に切なるの文にして褒を罔く、忌諱の辞なるが為なり。世俗の匈奴を言ふ者、其の一時の権を徼むるを患へ、而して莖讇して其の說を納るるを務め、以て偏指に便にし、彼己を参せず。将率中国の広大なるに席り、気奮ひ、人主因りて以て策を決す、是を以て功を建つること深からず。堯賢なりと雖も、事業を興して成らず、禹を得て九州寧し。且つ聖統を興さんと欲せば、唯だ将相を択任するに在るかな。唯だ将相を択任するに在るかな。
現代語訳
「大事業の成否は、結局のところ、適切な人材を選び任せられるかどうかにかかっている」——匈奴問題を論じた末に、司馬遷が到達した結論を描いた、この篇の結びです。司馬遷は、まず情報や進言のあり方を批判します。世間で匈奴対策を論じる者は、「目先の一時的な有利ばかりを狙い、上に取り入ろうとして、自分に都合のよい主張ばかりを説き、敵(彼)と自分(己)の実情を突き合わせて冷静に検討しない(不參彼己)」。また将軍たちは、「中国の広大さを頼みにして意気込むばかり」で、君主もそれに乗って策を決めてしまう。だから、功績が上がっても、根の浅いものにとどまる、と。威勢や迎合や希望的観測で物事を決め、彼我の実情を冷静に照らし合わせないことの危うさを、鋭く突いています。そして、司馬遷は、有名な結論に至ります。「あの聖王・堯でさえ、一人では事業を成し遂げられなかった。しかし、(有能な)禹を得たことで、はじめて天下(九州)が安らかに治まったのだ。偉大な事業を興そうと願うなら、その要は、ただ一つ——優れた将軍と宰相を選び、任せることにこそある(唯在擇任將相哉)」。司馬遷は、この一句を、念を押すように二度繰り返します。ここに、事業を成す要諦についての教訓があります。第一に、大きな事業の成否は、結局のところ、適切な人材を選び、その人に任せられるかどうかにかかっているということ。「唯在擇任將相哉」——どんなに優れたトップ(堯)でも、一人では何も成せない。事業の帰趨を決めるのは、要所を担う人材の質である。だからこそ、人選と権限委譲こそが、リーダーの最重要の仕事となる。第二に、物事を、威勢や迎合や希望的観測で決めず、敵と自分の実情を冷静に照らし合わせて(參彼己)判断すること。都合のよい情報だけに耳を傾ければ、判断を誤る。第三に、目先の一時的な有利にとらわれず、根の深い成果を目指すこと。組織で、事業の成否は適切な人材の選任と権限委譲にかかっていると自覚すること、威勢や迎合でなく彼我の実情を冷静に照らして判断すること、そして目先でなく根の深い成果を目指すこと——司馬遷のこの結びは、人を選び任せることこそが事業の要だという、経営の核心を教えます。