史記 / 李将軍列伝
廣廉,得賞賜輒分其麾下,飲食與士共之。終廣之身,爲二千石四十餘年,家無餘財,終不言家產事。廣爲人長,猨臂,其善射亦天性也,雖其子孫他人學者,莫能及廣。廣訥口少言,與人居則畫地爲軍陳,射闊狹以飲。專以射爲戲,竟死。廣之將兵,乏絶之處,見水,士卒不盡飲,廣不近水,士卒不盡食,廣不嘗食。寬緩不苛,士以此愛樂爲用。其射,見敵急,非在數十歩之內,度不中不發,發即應弦而倒。
新字:広廉,得賞賜輒分其麾下,飲食与士共之。終広之身,為二千石四十余年,家無余財,終不言家産事。広為人長,猨臂,其善射亦天性也,雖其子孫他人学者,莫能及広。広訥口少言,与人居則画地為軍陳,射闊狭以飲。専以射為戯,竟死。広之将兵,乏絶之処,見水,士卒不尽飲,広不近水,士卒不尽食,広不嘗食。寛緩不苛,士以此愛楽為用。其射,見敵急,非在数十歩之内,度不中不発,発即応弦而倒。
書き下し
広廉にして、賞賜を得れば輒ち其の麾下に分ち、飲食士と之を共にす。広の身を終ふるまで、二千石為ること四十餘年、家に餘財無く、終に家産の事を言はず。広の兵を将ゐるや、乏絶の処、水を見るも、士卒尽く飲まざれば、広水に近づかず、士卒尽く食らはざれば、広食を嘗めず。寛緩にして苛ならず、士此を以て愛楽して用ゐらる。其の射、敵を見て急なるも、数十歩の内に在るに非ずんば、中らざるを度れば発せず、発すれば即ち弦に応じて倒る。
現代語訳
李広は清廉で、褒美を得ればすぐに部下に分け与え、飲食は兵士と共にした。李広は生涯、二千石の官を四十余年務めながら、家に余分な財産はなく、ついに家産のことを口にしなかった。李広が兵を率いていて、水も食糧も尽きた土地で水を見つけても、兵士がみな飲み終わるまでは水に近づかず、兵士がみな食べ終わるまでは食事に手をつけなかった。おおらかで厳しくなかったので、兵士たちは彼を慕い、喜んで働いた。その弓は、敵を見て急を要するときでも、数十歩の距離に入らず、当たらないと見れば射なかった。射れば、弦の音とともに敵は倒れた。
解説
この章句が説くこと
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